「誰しもが陥る可能性がある地獄」について --- 宇佐美 典也

2014年12月12日 09:48

新著「肩書き捨てたら地獄だった」が発売されて2日たち、そろそろ書籍の感想などがこんな感じであがって来てなかなか嬉しく思っています。

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【明日は我が身、自営開始のリアル。『肩書き捨てたら地獄だった』】

こういうように肯定的な評価を下さっている人も多いのですが、一方で否定的な評価も結構ありまして、その中で特に多いのが「この程度で『地獄』とはお笑いだ。世の中もっと酷い境遇の人が沢山いる」というものです。ご指摘は最もなのですが、まず以てこの点について思うことが「俺はこんな辛い思いをしたんだ」という地獄自慢をする本を書きたかったのではない」ということです。

私が新著で伝えたかったのは、ある意味で「社会人誰しもが陥りうる地獄」というものを私自身の経験を伝えることで皆さんに擬似的に体験していただき、その上で「激変が予想される将来、地獄に至らないために今から何をすべきか」ということについて考えて欲しい、ということでした。なので私自身も、第三者的に見たら私なんかより辛い目にあった人は沢山いると思っています。

例えば「戦場で死にかけた」とか「お金がなくて飢え死にしかけた」とか「狂人に殺されかけた」とかそういう特殊事態に比べれば、私の経験など生易しいとは思います。ただそもそもそういった経験は「特殊」であるわけで、やはり普通の人ならば遭遇する可能性もかなり低いと思うわけです。なので私が伝えたい「日常生活のとなりに潜む地獄」というテーマからは外れるような話だと思っております。

こうした前提の上で「社会人誰しもが陥りうる地獄」というものについて考えてみますと、皆さんのご存知の通りそもそもの「地獄」とは宗教用語なわけでして、それが転じて「非常な苦しみをもたらす状態・境遇のたとえ。」として用いられるようになっております。振り返るに私がどのような境遇を持って「地獄」と言っていたのか、ということなのですが。だいたい以下の3つの要件に集約されると思います。

社会的に疎外されて孤独な状況にある

人間は社会的な動物で、人間関係が生じてこそ価値を発揮します。大抵の社会人は所属する組織が人間関係を整えてくれ、その人間関係の中で歯車として機能することで価値を発揮します。例えば私の場合は経済産業省という組織が、政治家ー学者ー企業団体、といった諸団体との関係を担保してくれる中で、法律や制度に関する専門知識を活かして、審議会で議論を進め、法律の解釈を固めたり条文を作ったりという歯車の役割を担っていました。そういう全体のシステムの中でこそ価値を発揮したわけですが、

それが組織を辞めることで人間関係が引きはがされて独りになってしまうと、なんの価値も発揮できなくなり、それがまた更に孤独を招くという、悪循環にはまりました。この状態は「自分は人に必要とされておらず、無価値である」ということを認識させられるようで大変つらいものでした。がむしゃらにとにかく足掻いて足掻いて、人間関係を復活させるまではこの状態が続きました。

入金が無く貯金が減っていく

何かの活動に取りくむも入金が無く、貯金が一方的に減っていくというのは精神的に大変つらい状況でした。貯金というのはそれまでの人生の積み重ねで得られたものなので、「入金」という新たな積み上げが無いまま、「貯金」という「積み上げたもの」が一方的に失われていくということは、自分の現在が否定されているような感覚に陥ります。

このお金が減っていく過程では当面は生きていけるため大胆な気持ちの切り替えができません。そのため「肯定したい現状の自分」と「それを拒絶する現実」との精神的なギャップが埋まらず、現実に自分が襲われているような感覚に陥りました。言い換えればこのころは世の中すべてが敵に見えていました。それが「全く貯金が無い」という状況まで陥れば「もうオレは落ちるとこまで落ちたな」という「底つき感」が生じて、葛藤のフェイズを抜け出してプライドを捨て、完全に現状の自分を否定することができて、むしろ前向きな気持ちに変わり、そのマインドセット自体が自分の人間関係を変えていくことになりました。

向かうべき先が全く見えない

人は何か目標なり希望なりを見つけて、それに向けて前に進み続けている限りはどんなに辛くともモチベーションを保つことができます。ところが遣ること為すこと上手く行かず、あまり失敗が続くと今度は「何をして良いか分からない」という状況に陥ります。状況は悪くなる一方なのに、その打開策が見えないと、人は不幸の底なし沼にはまっていくような感覚に襲われます。

よく「お先真っ暗」という言葉が使われますが、まさにこの表現は適確です。暗闇は恐怖です。結局ここから抜け出すには「先を見通す」「計画を立てる」ということを放棄して、「運を天に任せてとにかく真っ暗な中でも、何かできることをやってみて、目の前の一歩を進む」というように考え方を変える必要があるのですが、その意識転換をするまでは、自分の人生がどんづまりだと勘違いしてしまいます。実際は前に進めば、何かが落ちていたり、誰かとであったりするのですが。

もはや組織の安定が失われ、政府の財政の底が抜けつつある現代の日本では、こういう意味での地獄というのは社会人の皆さんがいつ陥ってもおかしくないわけです。端的に言えば自分が中高年を迎えてリストラの対象になったような場合です。先日もある技術調査会社の中途採用の担当の方が「特定の一社に勤め続けて来た40代後半以上は救いようが無い人が多い」という発言をして仰られて、「ああ、やっぱりそうなのだな」と思ったりしました。

こうした厳しい時代の中で、どのように生き残っていくか、と考えていくことは皆さんに取ってとても大切なことだとおもうので我が新著もその参考にしていただければ有り難い等と思っております。

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2014年12月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。


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