イスラム過激派テロリストの3人が起こした仏週刊紙「シャルリーエブド」本社とユダヤ系商店を襲撃したテロ事件について、同国の穏健なイスラム法学者がジャーナリストの質問に答え、「テロリストは本当のイスラム教信者ではない。イスラム教はテロとは全く無関係だ」と主張し、イスラム教はテロを許してはいないと繰り返す。一方、西側ジャーナリストは「世界でテロ事件を犯しているテロリストは異口同音にコーランを引用し、アラーを称賛している。それをイスラム教ではないという主張は弁解に過ぎない。彼らはイスラム教徒だ」と反論する。
著名な神学者ヤン・アスマン教授は、「唯一の神への信仰(Monotheismus)には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとする」と説明し、実例として「イスラム教過激派テロ」を挙げている。すなわち、イスラム教とテロは決して無関係ではないというのだ(「『妬む神』を拝する唯一神教の問題点」2014年8月12日参考)。
イスラム法学者の「あれはイスラム教ではない」という主張を聞いていて、それではどこに“本当のイスラム教”があるのかといった素朴な疑問を感じた。
旧ソ連・東欧諸国の共産政権はいずれも崩壊した。共産主義の敗北が明白となった時、極東アジアに住む日本人の共産主義者やそのシンパの中から「旧ソ連、東欧の共産主義は本当の共産主義ではない」と、崩壊した共産主義国を修正主義者と糾弾する一方、「共産主義はまだ実現されていない」と、その希望を未来に託したことを思い出す。イスラム法学者の「テロリストは本当のイスラム教徒ではない」と反論する論理と何と酷似していることか。
先のイスラム法学者も極東の共産主義者も「どこに“本当”のイスラム教、“本当”の共産主義世界が存在するか」といった疑問には答えていない、前者の場合は「私が信じているイスラム教が本当だ」とはさすがに主張していない。そんなことをいえば、「この法学者は傲慢な学者だ」と一蹴され、それだけで「本当のイスラム教徒」のカテゴリーから逸脱してしまう危険が出てくる。もちろん、スンニ派とシーア派などに分裂しているイスラム教世界では、“本当”のイスラム教探しは正統論争に過ぎないというべきかもしれない。
“本当”の共産主義国が存在していないように、“本当”のイスラム教も見当たらないのだ。逆にいえば、崩壊した旧ソ連・東欧の共産主義国は少なくとも共産主義思想を標榜した国であり、テロを繰り返すイスラム過激派テロリストも、少なくともアラーを崇拝するイスラム教徒である、といわざるを得ないわけだ。なぜならば、われわれは崩壊した共産主義国と紛争とテロを繰り返すイスラム過激派テロリストしか身近に目撃していないからだ。いつ実現するか分からない「本当」の共産主義国やイスラム教の出現を忍耐強く待つほど空想家ではないからだ。
現実を無視しては解決策は出てこない。イスラム過激派テロ問題の解決も同じだ。フランスのテロ事件から“イスラム”を削除して過激派テロ事件と見なすことは論理的にも現実的にも詭弁に過ぎない。イスラム過激派テロ問題はやはりイスラム教に戻り、謙虚に解明していく以外にないだろう。“あれは本当ではない”式の論理では、解決はおぼつかないだけではなく、無責任な主張だ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年1月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。