安倍批判をすればするほど安倍政権は過激化する矛盾を超えて

倉本 圭造

イスラム国人質事件に関連する安倍政権批判に盛り上がりについて、日本には安倍政権を一方向的に攻撃すればするほど安倍政権が過激にならざるを得ないメカニズムがあるので、もしあなたが安倍政権を本当に倒したいと思っていたり、あるいは一応支持しているけど時にやりすぎちゃう彼らを適切な方向に誘導したいと思っているなら、「こういう方向で押していくべきだ」という戦略について書いています。

前回の記事はこちら。これは二回目です。


2・「アンチ安倍」ではなく「ど真ん中のフェアネス」を旗印にしていこう

「日本は今後、アメリカ主導的な世界秩序にどの程度コミットするべきか」・・・という問いに関して、いずれは例えばイギリスがやっているように、アメリカが中東で空爆する・・・と言えばだいたい毎回軍隊を送って参加する・・・というレベルまで一蓮托生にコミットするべきだと考えている人は、日本にはほとんどいないと思われます。(例えば憲法9条は即刻廃棄すべきで、自衛隊を軍隊にし、必要とあらば戦争もできる国になるべきだ!と思っている人ですら、アメリカの国際戦略に良いように使いまわされるような事態は避けたいと思っているはずですよね。)

一方で、(調査によって数字が全然違うのでよくわかりませんが)日本国民の”大半”といって良いぐらいの人間は日米安保条約を当然のこととして受け入れているように思いますし、「ゼロ」にまでする気はないようです。

もちろん、中東にも自衛隊を派兵できるようにするべきという人がいないわけではないように、日米安保を即刻破棄すべしという人もいるにはいますが、大半の日本人が「望んでいること」というレベルで考えた時の「日本は今後、アメリカ主導的な世界秩序にどの程度コミットするべきか」に対する答えは、

「まあ、ちょうど良いぐらい」

というのが多くの日本人にとっての正解・・・と言えそうです。

基本的に欧米社会が作り出している国際協調の枠組みには参加しているし、人権だとか透明性だとかいった「意識高い系の世界観」に共感し、その価値を守っていこうと思っている。

しかし、だからといって「あまりにもアメリカ発の秩序感に参加」しすぎることで、イスラム社会から「英米と同じレベルの敵」と思われるのは良くない。

これは日本にとって実利的に良くないだけじゃなくて、日本には「欧米側に立ってはいるものの、”征服されて価値観を押し付けられて生きている側の気持ち”も実体験としてわかるからフラットに付き合える存在」として、一神教世界同士の抜き差しならない争いを超える相互理解のトーンを打ち出していける可能性があり、それはアメリカですら「日本がそういう役割を果たしてくれたら助かる」という世界であるからです。

でもこの「ちょうど良い塩梅」に物事を持っていくのは本当に難しいことです。とりあえず「全部安倍が悪い」で済む話じゃなくなるし、逆に「安倍が悪いと言いたい人の気持ち」を完全に排除しているだけでは、「安倍氏自身やその支持者の多くもこのへんでいいなと思っているレベル以上に突き進む」方向で暴走してしまう可能性が高くなってしまう。

じゃあどうやったら「ちょうど良い」領域に日本を誘導していけるのでしょうか?

それは、「ちょうど良さ」自体を旗印にするムーブメントを盛り上げていくしかないです。

つまり、安倍政権の方向性を止めたいときに、「安倍が困ることならなんでもしてやるぞ!」という動きがあまりに大きくなってしまうと、安倍政権側も(あるいは日本人の投票行動的なものも)そちらがわにちょっとでも妥協することができなくなってしまうんですよね。そっちに動き始めると「行くところまで行っちゃう」恐怖心が芽生えるからなわけですね。

最近、ツイッターで「保守の”自称リアリスト”どもは」っていう批判的な枕詞をよく見るようになったなあ・・・と思うんですが、そういう風に言うあなた個人は、ちゃんと良識を持って「良い塩梅」を目指している人なんだろうと思います。

ただ、世の中は一方向に動きはじめると際限なく後乗りしてくる人がいるので、一度動き出すとあなたような「トップ10%の良識を持ったアンチ安倍路線」の人が考えている以上に「やっちまえ!ヒャッハー!」的なエネルギーを吸い上げていく可能性だってあるわけじゃないですか。

だからこそ、もしあなたが安倍政権を倒したいと真剣に思っているならば、安倍政権を倒した後に生まれるムーブメントが「”ちょうど良いところ”で止まるしくみ」を考えることが第一歩なんですよね。

「保守」は放っておいてもとりあえず現状維持で済むとこありますが「革新」の方は保守の人の10倍ぐらいはこの「止まるところで止まれる算段」をあらかじめ考えておく必要がある。これは20世紀の歴史の最大の教訓だと思います。

とはいえ、そういう批判は聞き飽きたよ!とあなたは思うかもしれない。私もこんな批判はもう言い飽きてきてますからね。「それでも、じゃあ一切批判もできず黙ってるしかないって言うのかよ!?」とあなたは思っておられる。その気持は非常にもっともだ。

日本ていうのは現状維持で「ナアナアにとりあえずマアマアなところに落としこむ力」は凄くあるので、「理屈で考えて啓蒙主義的に動かしたい」人にとっては非常に難しい環境です。普通に生きているだけで「世間さま」の重みに耐えて耐えて生きている感じがする人にとっては、安倍政権的なものに憤懣やるかたない気持ちを持つのは当然のことかもしれません。

だからこの記事を読み終わった後も、安倍政権を批判するな、って言ってるんじゃないんですよ。そういうツイートをRTしまくっていいし、「いいね!」を押しまくってもいい。それこそ言論の自由です。あなたが日本社会に抑圧されていると感じている気持ちをバンバンぶつけていけばいい。それをやめると息苦しいでしょうし、日本はどこまでも付和雷同型の暴走をしがちなのは確かですからね。

ただしそれと「同じだけの熱意」で、あるいはもっと熱心に、「アンチ●●」でなく「ど真ん中のフェアネス」を社会の中に培っていき、それを共有する動きに対してバンバンRTしまくり、「いいね!」を押しまくって欲しいわけです。

なぜなら、「ど真ん中のフェアネス」よりも「アンチ●●」の方が簡単にキャッチーにできるので、ソーシャルメディアはどんどんそちら側に引っ張られてしまうからなんですよ。

で、覚えておいて欲しいのは、あなたがあなたの気の合う仲間と盛り上がって「はい論破!」ってやってる逆側に、全く同じ「事件」について「逆側の立場」の人が彼らなりの理屈で「はい論破!」って叫んでいるのが今の世界なんですよ。

僕のツイッターのタイムラインには両方の立場の人のツイートがバンバン流れていますし、そのどちらの立場の人の間でも、今回の人質事件こそが「敵側の人間の限界を露呈している」というロジックが毎日どんどん先鋭化して補強されていっています。

つまり、

・「今回の人質事件こそが日本の左翼の限界を露呈している」
・「今回の人質事件こそが安倍政権の限界を露呈している」

が同じぐらいの熱量でバンバン放出されていて、お互いに全然接点がないのが今の世界なわけです。

だからある意味、『俺のタイムラインにも両方バンバン流れてるぜ!』っていう人こそが今の時代に一番大事な役割を担っているといえるかもしれない。

その「ど真ん中のフェアネス」が「アンチ●●」を超えるように育てていくしか、日本が本当に「ちょうど良い道」を進める可能性はないからです。

でもそれは「ナアナアにした折衷案」にしろというわけじゃないんですよね。

「どっちの味方とかじゃねえぞ俺は!真実とフェアネスの味方だ!」

的なムーブメントが必要だってことなんですよ。

昨年出した私の著書『日本がアメリカに勝つ方法』の図を引用して説明します。

下図は横軸が左右の「どれだけ極端な話か」という軸で、縦軸が「そのポイントでのコンセンサスの取り付けやすさ」を表しています。

20150125_death_valley

上図のように、ソーシャルメディアの中の「自分たちの仲間」の中でどんどん先鋭化していく言論空間の中では、ほうっておくと「そこそこの納得感があって、かつ敵側を完全排除する方向」に合意形成が物凄く容易にできる部分が生まれるんですよね。でもそれは「敵側」にとっても同じことなので、この世界観でどれだけ「安倍政権を倒そうとして批判」していっても、あなたが熱意を注ぎ込んだ分だけ「敵側の凸部分」にも熱狂的なコンセンサスが生まれていくんですよ。

結果として、お互い内輪では「これで完全に論破したぞ!」という意見と名論卓説と数千リツイートされるヒネりの効いたジョークと色んな統計数字と感情の爆発とニュースソースと分析と古典の引用と海外メディアの発言の紹介と意図的あるいは非意図的なデマゴーグと・・・・がバンバン積み重なっていきますが、「二つの凸」の部分同士のお互いの間にはほとんど全くコミュニケーションがないので連携も取れず・・・・つまり簡単にいうと、

「アンチ安倍」が盛り上がった分だけ「安倍政権」は過激化する

結果になります。

だからこそ、あなたが安倍政権を本当に倒したいと思っている人なら、あるいはとりあえずは安倍支持なんだけどたまにやり過ぎる彼らを軌道修正したいと願っている人なのなら、上記のM字カーブ型のグラフを

20150125_mountain

↑のように凸型に転換する動きにこそ全力を尽くさないといけないわけです。

それさえできれば、日本のインテリの悲願である「健全な二大政党制」とやらも実現できるし、場合によってはもう一回政権交代だってありえる状況になる。

この「真中の凸」部分の存在感が日本のある程度知的な人間の中でしっかりと共有されるようになって、「日本は昔っからこうなんだ、黙っとれィ!」っていう声よりも大きくなれば、日本は世界一変化に臆病な国から、「変化するのが常態」ってぐらいの国になれる。グローバルに見た自分たちの良さの融通無碍な売り込みの動きも自然に生まれるし、日本の官僚や古い組織が「本来の有効性以上に持ちすぎている権限」も自然に解放していけるようになる。

安倍政権に批判的な人の中には、筋金入りにインテリで、視野も広くて、現実的な転換アイデアをいくつも持っている人も多い。そういう人の意見が「安倍とは反対側にいる」からといって吸い上げられないのは巨大な損失だし、日本に生きることの「閉塞感」の根本原因と言ってもいい。

しかし、「安倍政権に批判的な人」の中には、そういう人たちの「理性的で小さな声」の何億倍ぐらい声の大きい、「とりあえず騒げればいいや」系のエネルギーが渦巻いてるわけですよね。

もし「安倍政権的なもの」か、それか「とりあえず騒げればいいや、後のことは知らないけど」っていうムーブメントか・・・ってどっちかしかなかったら、日本は過剰に保守的にならざるを得ないし、さらに「意識高い系」による攻撃を続ければ続けるほど「右傾化」だってせざるを得なくなっていきます。

でもこの「凸型のグラフ」が実現できれば、安倍に賛成とか反対とか瑣末な問題ではなくて、「こういうアイデアってどうだろう?」「いいねえ!」の連鎖に身を任せるだけで良くなるんですよ。

そしてそういう連鎖が動き始めれば、日本社会の中で生きづらさを感じている個人主義者のあなたが、とりあえずその行き場のない怒りだけをストレートに発揮しただけのムーブメントですら、それが「シグナルとしての異端者」として「凸」部分に感知され、吸い上げられ、現実的で漸進的な改革として入れ込んでいける情勢が実現する。

なにより、アメリカの議会が最近ずっと空転を続けているように、「両側の極論同士がぶつかりあって何もできなくなる」世界の喫緊の課題に「空気読んじゃう国ニッポン」ならではのあたらしいスタイルを提示して希望を示すことが可能になる。

もっと究極的に言えば、「欧米的価値観VSイスラム的価値観」みたいな、どう考えても答えの出ない一神教同士の妥協のない争いも、「まあ、日常生活レベルでこういう風にやってけばええんちゃうかなあ?」ぐらいの、あらゆるドグマがドロドロの日常感の中に溶け込んでしまうような平和のモードを提示していくことだってできるようになる。

それこそが日本が世界にあってくれてよかった!と思ってもらえる貢献の道だと言えるでしょう。

理想論的に見える?しかし、これしか世界の分断を人類が超えていく一手は本質的には存在しないし、そして日本は、本能レベルでかなりこの道を進み始めているんですよ。

少し別の角度から見てみたいので、ちょっと並置するのが少し不謹慎な感じもするのですが、次回はあえてこれを日韓問題に関するここ10年の推移と比較して考えてみることにします。

長くなってきたのでアゴラでは分割して掲載しています。一気読みしたい方はブログでどうぞ。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
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