2015年2月16日の記事の再掲です。
よく原発のことを「トイレなきマンション」といいます。これは「原発を動かすと核のゴミが出るのに、その捨て場所が決まっていない」という意味です。学術会議はそれを信じて「ゴミの捨て場所の決まっていない電力会社の原発は動かすな」という提言を出すそうですが、本当なんでしょうか?
まず問題は、核のゴミとは何かということです。これは原発で燃料のウランを燃やして出る使用ずみ核燃料(核廃棄物)で、プルトニウムなど燃料として使えるものがまじっているので、本当はゴミではありません。しかし、こういう放射性物質は非常に危険なので、人体に影響を与えないように管理しなければいけません。
このためには地中深く埋めて最終処分すればいいのですが、日本では今のところ原発の中の核燃料プールに置いてあります。それがいっぱいになってきたので、学術会議は「核廃棄物があふれるから原発を稼働するな」とか「10万年後の安全が保証できない」とかいっていますが、これは錯覚です。
最終処分で問題になるのは口に入った場合の経口毒性ですが、プルトニウムの毒性は水銀やヒ素より低い。しかも重金属の毒性は永遠に続きますが、プルトニウムの毒性は100年ぐらいでほぼ問題なくなり、地下水にとけることも魚に蓄積することもありません。それよりマグロに蓄積した有機水銀のほうが危険です。
日本で最終処分しないのは技術がないからではなく、もったいないからです。使用ずみ核燃料からプルトニウムを取り出してまた使う核燃料サイクルが理論どおりに行けば、無限の核燃料ができる夢のような話です。このための再処理工場が青森県の六ヶ所村にあります。
しかし核燃料サイクルは、うまく行っていません。プルトニウムを燃やす高速増殖炉「もんじゅ」は10年以上とまったままで、動いても実用化の見通しはありません。しょうがないので「プルサーマル」という技術でプルトニウムをウランにまぜて消費していますが、そんなことするぐらいなら再処理しないで捨てたほうが安い。
もっと大きな問題は、ウランがたくさん見つかったことです。もともと核燃料サイクルを開発した理由は、ウランの埋蔵量が80年分ぐらいしかないことだったのですが、シェールオイルみたいな形の非在来型ウランは、少なくとも300年分はあることがわかりました。
海水の中に混じっているウランは、9000年分あります。これを取り出すコストも膜技術が急速に進歩し、在来型ウランの2倍ぐらいまで下がっています。だから実用的にはウランはほぼ無尽蔵なので、再処理して大事に使う必要がない。もったいないと思わないで、最終処分すればいいのです。
学術会議は「最終処分場がない」といっていますが、これもまちがいです。捨て場所はあります。それは六ヶ所村です。ここは全体で250平方キロメートルと、大阪市ぐらいの面積があります。ここに使用ずみ核燃料を埋めれば、300年分ぐらい処分できます。
だから解決方法は簡単です。六ヶ所村の再処理工場をやめて、最終処分場にすればいいのです。埋めるのが心配なら、学術会議のいう「暫定保管」で、キャスクに入れて地上に置けばいいのです。これは今の中間貯蔵と同じで、それをずっと延長すればいいだけです。
これは関係者はみんな知っていますが、いい出せない。今まで再処理工場に投じた2兆円以上のお金がむだになるからです。でもこれはサンクコストだから、気にしてはいけないのです。再処理工場をこれから動かして無駄になるお金のほうがはるかに多い。
要するにムラーさんもいうように「使用ずみ核燃料問題は解決している」のです。その程度の初歩的な勉強もしていない文系のおじさんが集まって、見当違いの提言をする学術会議って何でしょうか。ちゃんとした専門家を集めて、本当の学術的な議論をしてほしいものです。