都構想8:橋下はん「都構想」って名前は酷すぎまっせ!

「都構想」と言う名を初めて耳にした時は、嫌に角ばってとっつき難く、何の事かさっぱり判らないと言う印象であった。

いつの時代でも、子供の誕生や新しい物事の命名には、名前が実体や希望をよく表す様にあらゆる角度から考え尽くすものだが、「都構想」と言う名は、「名は体を表す」と言うより「名は混乱を表す」と思える程の悪名である。


現に、都構想に反対する藤井教授が「7つの事実」で挙げた批判の矛先の大半は、「都」と言う名称に伴う統治の「形」に向けられており、肝心の改革内容には殆んど触れていない。

「都構想」を分割の象徴と捉える自民・民主は、「大阪の分割ハンタ~イ」と叫び、一方、共産党は「集権主義の都構想ハンタ~イ」と絶叫するなど、政党間でも「都構想」の解釈が割れているくらいだから、大阪市民の多数が「説明不足」だと不満をもらすも当然である。

いくら流行りだからと言って、キラキラネームやカタカナネームは使う必要はないが、「躍進大阪構想」でも「新大阪構想」でも良いから、もう少し解り易い名称は無かったのだろうか?

コップに注がれる水を見て「未だ半分しか入ってない」と考える人も居れば、「もう半分も入った」(The glass is either half empty or half full.)と考える人もいる。

同じ日本人でも、いろいろなものの見方をする時代入った現在、これが政策問題であれば、野党は「未だ半分しか入っていない」と批判するし、与党は「もう半分も入った」と自負する事は間違いない。

橋下市長は「政治は現実であり、生き物である」「政治家は学者と違い、政策を実行する義務がある」と言うのが口癖だが、選挙民が理解し難い「名前」は政治には用がない。

先程の「コップの水」の話ではないが、都構想を「大阪を解体して5つの区に分ける」と説明するか、「現在24ある行政区を、5つの独立区に統合して、市民参加型の効率的行政に移行する」と説明するかでは、その印象は大きく異なる。

兎に角、判り難い「都構想」と言う名称を藤井教授に利用されて「大阪市を解体する」と言う判り易い言葉で宣伝する機会を与えた事は間違いない。

「立派なものをおとりに使い、実際は粗悪なものを売る」ことを「羊頭狗肉」と言うが、「都構想」は「粗悪と誤解され易いものをおとりに使い、実際は立派な内容の物を売る」世にも稀な商法である。

「東京」に憧れる若者はいても「都(ト)」に惹かれる国民など聞いた事も無い。同じ「大阪都構想」でも「都(ト)」と読ませずに、「みやこ」と読ませただけでもイメージは一変し、反対者の「いちゃもん」の多くは防げた筈だ。

それを知りながら橋下市長が「都」にこだわった理由には、大阪に活気を戻すには東京都のような二重行政の無い統治機構が必要だと言う強い気持ちがあったのであろうが、肝心の選挙民に通じなくては意味がない。

また、欧米先進国の「メトロポリタン=大都市圏」構想を大阪にも導入したい気持ちもあったであろうが、大阪の市民に「以心伝心」で政策の意図が伝わる名称である事のほうが大切だ。

世界で大成功を収めた政策には「サッチャリズム」とか「リーガノミックス」などのニックネーム(愛称)が付けられてきたが「都構想」にはそれすらない。

「サッチャリズム」と言えば、繊維産業が全盛を誇っていた時代の大阪は、産業革命と世界の繊維の中心を象徴していた英国のマンチェスターにあやかり「日本のマンチェスター」と呼ばれ、繁栄を謳歌していた。

「日本のマンチェスター」と言えば「繊維の中心」だった大阪を指す事は誰でも知っていたが、繊維産業の衰退と共にこの名称は消えていった。

その当時、大阪と同じ悩みに加え労働党政権の労働組合や公務員の過保護政策で「英国病」を発症していた英国は、鉄の宰相サッチャー女史の下に断固たる統治機構改革を実行し、瞬く間に「英国病」を克服した。

その象徴の一つのロンドンヒースロー空港は、1986年には民営化され、2013年には国際線利用者数では世界一の空港にまで出世した実績がある。

一方の大阪は、繊維と商いのミヤコ大阪を支えていた大手繊維企業や総合商社の本部の殆んどは東京に移り、その後を支える産業が人の交流を命とするソフトであることすら予想出来なかった国交省の空港政策の誤りで、大阪が韓国に引き離されると言う、信じられない失態を招いた。

この一例を見ても明らかな通り、大阪の再建を金と権力はあっても、智恵も無ければ将来見通しにも劣る、前例主義の国家権力に任せて置く訳にはいかない。

言葉では「男は顔じゃないよ、心だよ!」と言う日本女性も、世論調査では「男は顔と財布だよ」と言う結果が出ており、実際は人間性がよくても不細工で貧乏だとモテナイ世の中になった事は、いくら実質本位の大阪でも大差はあるまい。

今はイメージ先行時代、見てくれの大事な時代になった。その点は、藤井教授のほうがよく認識している。

大阪市民と維新の会は、「都構想」と言う名前のハンデを克服して大阪の再興に尽力して欲しいが、今の政治にはイメージを軽視する事は出来ない事も忘れないで欲しい。

2015年4月22日
北村 隆司