日本は韓国の「誰」に謝罪すべきか --- 長谷川 良

2015年04月26日 17:11

日本の人気作家・村上春樹氏が共同通信社とのインタビューの中で、「ただ歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が『すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう』と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから」と答えたという。もちろん、村上氏の会見内容は韓国メディアで大きく取り上げられた。


謝罪は決して一方的な行為ではない。加害者側が謝罪しても、被害者側がそれを良しと受け入れない限り、加害者の謝罪は成立しない。だから、加害者は被害者が謝罪を受け入れるまで繰り返さなければならない。村上氏流にいえば、「わかりました、もういいでしょう」というまで日本は謝罪を繰り返さなければならないことになる。

ここまでは人気作家の主張に首肯できるが、問題が出てくる。誰が「わかりました。もういいでしょう」と言えば、日本側の謝罪は成立したと「判断」できるかという点だ。換言すれば、韓国の誰が「わかりました、もういいでしょう」と答える権限を有してるかだ。

一般的には、漠然としているが韓国国民だろう。具体的には、最高指導者の韓国大統領かもしれない。恣意的かは分からないが、村上氏はもっとも肝心な点には何も言及していない、共同通信記者は本来、村上氏にこの点を質問すべきだった。謝罪を成立させるためには、当然のことだが、歴史問題に終止符を打てる権限を有する相手がはっきりしていなければならないからだ。

「河野談話」、「村山談話」など、日本政府は過去、韓国側に何度か謝罪してきた。「日本側は過去、謝罪表明していない」という韓国側の主張は事実に反する。もちろん、作家村上氏の論理からいえば、日本は謝罪を表明していないことになる。なぜならば、被害者側の韓国が「わかりました。もういいでしょう」といっていないからだ。日韓両国間のこの認識の格差は、謝罪の相手がこれまであいまいだったことから生じてきたのではないか。

謝罪相手として韓国国民について考える。戦後70年を経過した今日、戦時体験者は少なくなってきた。韓国が謝罪要求する慰安婦の数も54人だ。すなわち、日本が謝罪しなければならない国民は数的には韓国内で益々少数派となってきた。だから、日本側が少数派の韓国国民に向け謝罪表明したとしても、大多数の韓国国民はまったく他人事のように受け止めることになる。だから、「日本は謝罪表明していない」といった誤認が生まれてくるのだろう。

もう少し具体的に考えてみよう。朴槿恵大統領が「わかりました、もういいでしょう」といえば、日本の謝罪は受け入れられたことになるか。朴大統領の支持率は30%から40%前後に過ぎない。国民の少数派の支持しか受けていない大統領が日本側の謝罪を受け入れ、「わかりました、安倍晋三首相、もういいでしょう」と答えたとしても、韓国国民の70%が「われわれは朴大統領に同意しない」と反論すれば、日本側の謝罪表明は水泡に帰するのだ。

賢明な日本人ならば、「それでは韓国国民の50%、理想は3分の2以上の支持を受けている韓国大統領が登場するまで日本側は謝罪表明を保留すべきだ」と考えるかもしれない。安倍首相が焦って国民の30%しか支持されていない朴大統領に謝罪表明し、朴大統領から「わかりました、もういいでしょう」と言われたとしても、朴大統領が退任し、新しい大統領が誕生すれば、前政権の謝罪受け入れ表明など忘れ去られ、新しい謝罪要求が飛び出してくるからだ。

少なくとも、過去はそうだった。日本政府は韓国に何度か謝罪を表明したが、韓国側は「謝罪を受け取っていない」と感じてきたのだ。日本は謝罪対象を間違ってきた、という結論になるのだ。

戦後70年を迎えた。戦時体験した日韓両国の国民は少なくなってきた一方、地球の温暖化や難民対策など諸難問に直面している今日、「きのう」のことに多くの時間やエネルギーを注ぐことは賢明だろうか。安倍首相が「平和な社会、国家を建設することが誤った過去への最高の反省」と考えるとすれば、非常に冷静な現実認識というべきかもしれない。

作家・村上氏は「謝罪は恥ずかしいものではないから、『わかりました、もういいですよ』と言われるまで謝罪を繰り返すべきだ」というが、謝罪表明の繰り返しは決して誇れるものではない。ましてや、謝罪表明は消費財ではない。たたき売りのように連発するわけにはいかない。

一国の最高責任者による謝罪表明は、一度で十分だ。謝罪要求する側も相手の謝罪が不十分と感じたとしても、過去を昇華し、未来に向けて出発するために受け入れる以外に解決策がないだろう。

「相手側がわかりました。もういいでしょう」というまで謝罪すべきだという村上氏の謝罪論は、「謝罪表明」という本来深刻な行為の純度を薄めることになり、ひいては謝罪の相手を侮辱することにもなるのではないか。

世界的作家の村上氏は「相手が受け入れないのだから、繰り返す以外に仕方がないだろう」とため息交じりに反論されるかもしれない。当方は「日本が何度も謝罪を繰り返すから、韓国は受け入れないのだ」と、少々斜めに見ている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年4月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。


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