ブログマガジンに書いた学問的な常識だが、いまだに安倍首相を「ファシスト」とか「翼賛体制」とか呼ぶ人々がいるので、再録しておく。日本を戦争に引きずり込んだのはファシストではなく、大政翼賛会でもない。
ファシズムはムッソリーニの始めた運動の名称で、ヒトラーのナチズムもこの名で総称することは国際的に定着している。これはカリスマ的な指導者が右翼的イデオロギーで民衆を動員する政治運動で、彼らが政権を取って国家を指導したのが特徴である。
日本にも右翼やファシストはいたが、彼らは政権をとることはできなかった。丸山眞男も1947年の「日本ファシズムの思想と運動」(岩波文庫所収)という論文で、「日本ファシズム」をヒトラーやムッソリーニの指導する民衆による下からのファシズムとは区別し、戦争をもたらしたのは軍部や官僚機構だったと論じた。
日本を戦争に導いた思想をファシズムと呼ぶとすれば、そういう思想は北一輝や大川周明などによって提唱され、30年代には多くの右翼団体が生まれたが、彼らの運動は政権を掌握するには至らなかった。それにもっとも近づいたのが1936年の二・二六事件だが、これは陸軍の統制派に制圧され、運動としてのファシズムは失敗に終わった。
このようにファシズム運動が挫折した一方で、既存の支配層である軍・官僚機構や政治家が戦争に傾斜していったことが、日本の特徴である。それをファシズムという概念で論じることはミスリーディングなので、最近では日本についてファシズムという言葉を使わないのが歴史学界の通説だ。
アーレントにならって、代表制が機能しない大衆社会の危機に対応する「主権者」として登場した独裁制をファシズムと考えると、日本の軍部支配はファシズムとはいえない。独裁者は不在で、主権者である天皇はファシズムに反対していた。よくヒトラーに比せられる東條英機は、片山杜秀氏もいうように権力基盤が弱体で、それを補うために首相と陸相と参謀総長を兼務したのだ。
実質的な意思決定を行なったのは(全体状況の見えない)現場の将校と課長級の官僚であり、彼らをあおったのは右翼の直接行動と新聞の戦争報道だった。東條も、そういう「空気」に押されてずるすると戦争に引きずりこまれたのだ。このような下からの現場主義で戦争が決まったため、議会はほとんど関与できず、大政翼賛会でさえ近衛文麿が失脚したあとは無力化した。
つまり日本の軍国主義は、ヒトラーのようなファシストが主権者としての議会を乗っ取ったのではなく、行政をコントロールする主権者を天皇という形骸化した君主にし、各行政機関をタコツボ的に細分化したため相互監視もきかず、軍が暴走してしまった行政国家の病なのだ。
今も行政を監視すべき国会はほとんど機能していないので、それを代行しているのはメディアだが、それは30年代のようにポピュリズムに走り、行政のゆがみを悪化させることが多い。当時のファシストに似ているのは安倍首相ではなく、慰安婦報道や「プロメテウスの罠」のようなデマで民衆を煽動する朝日新聞である。