大蔵省という「主権者」の解体

ニューズウィークに書いた安倍首相の「たられば財政」は、「高度成長を再現したら歳出削減なしで財政が黒字になる」という夢のような財政再建計画だ。これを支持して「国が財政健全化すると計画したのだから、それを疑う者は非論理的な国賊だ」というリフレ派の国家社会主義も、戦時中に似てきた。


野口悠紀雄氏の『戦後経済史』でおもしろいのは、占領統治がマッカーサーの独裁だったというのは神話で、実際には温存された革新官僚、特に大蔵省がGHQを利用したという話だ。

GHQの考えた国家公務員法の原案では、人事院がすべての国家公務員の人事を一元管理し、職能別のペーパーテストで昇進させる職階制になっていたが、大蔵省給与局は15段階の「給与等級」を定め、そのうち6級に編入する試験に「上級職試験」という通称をつけて高等文官の制度を守った。人事も各省が独自に行なうタコツボ構造が温存され、人事院は形骸化した。

農地改革が戦前から革新官僚の考えていたものだったことは、山下一仁氏もいっていた。GHQはこれに従って不在地主から農地を取り上げて小作人に分割し、農地の売買を原則禁止する農地法をつくらせた。このため社会党の中核だった農民組合は攻撃目標を失い、農村は保守化した。これを実施したのも、吉田内閣の池田勇人蔵相だった。

1949年に行なわれた「ドッジライン」と呼ばれる緊縮政策で、日本経済は深刻な不況になる一方でインフレは収束したが、ドッジは民間銀行の経営者で、日本の財政は知らなかった。それが来日して半年余りでドラスティックな財政改革を実行したのは、大蔵省がGHQの権威を利用したのだ。

同じ時期に行なわれた「シャウプ勧告」も、1940年に大蔵省の行なった税制改革と同じだった。それまで各府県で徴収されていた地租を中心とする税制を所得税中心に変え、徴税権を大蔵省に集中したのだ。これは戦費調達のために地主だけでなく一般国民から徴税するためだが、このときナチスにならって所得税は給与から源泉徴収されたため、納税意識が希薄になった。

日本の戦時体制は、肝心の主権者が名目的な天皇だったため、指揮系統が大混乱になった。その空席を埋めたのは東條英機をトップとする軍部であり、官僚機構の中核は警察を中心とする内務省だったが、軍と内務省はGHQに解体されたため、その空席を埋めたのは大蔵省だった。

アガンベンも指摘するように、ホッブズ以来の政治哲学の焦点は主権者に集中しているが、実際の行政の大部分は官僚の裁量で行なわれる。それをコントロールするのは主権者(君主や議会)ではなく、オイコノミア(経済)つまり予算を握る者である。

議院内閣制の国では普通それを内閣がコントロールするが、日本では実質的に大蔵省主計局が予算を編成し、内閣はそれを承認するだけだ。この意味で戦後日本の実質的な主権者は大蔵省だったが、1990年代に不良債権処理に失敗し、斉藤次郎次官が小沢一郎氏を政治利用した報復として自民党に解体され、1998年に金融庁が切り離されて2001年に「財務省」になった。

かつて自民党と二人三脚でやってきた大蔵省の権威が失墜し、自民党の「政治主導」になった1998年の小渕内閣から、財政赤字の急速な膨張が始まった。こうして名実ともに主権者になった自民党を代表する安倍首相は、戦後レジームを否定し、国債を無限に発行して日銀が引き受ける戦時レジームに回帰しようとしている。

これは軍部が政権を乗っ取ったのと同じで、これを支持するリフレ派が「日銀の引き受ける国債はフリーランチだ」と主張するのも戦時中と同じだ。たしかに国債を日銀がすべて引き受ければ何でもできるが、タコが自分の足を食って生き続けることはできない。「焼け跡」でその負担を背負うのは、将来世代である。