大統領選にみるコンサバなアメリカ

アメリカ大統領選挙の話題が少しずつ目立ち始めました。そして今週は共和党の大本命、ジェブ ブッシュ氏がついに立候補を表明しました。高い支持率で期待を担う同氏の出馬表明で盛り上がるアメリカ大統領選を考えてみたいと思います。

共和党は既に12名の立候補者があり、多分、ウィスコンシン州知事ウォーカー氏が立候補すれば主要どころは揃うかと思います。その中で現時点ではブッシュ氏がやや優勢のトップを走っています。

一方の民主党は候補者4名ですがヒラリークリントン氏が圧倒しており、今のままで行けば同氏が民主党候補者となることは確実視されています。

さて、仮に共和党の候補者がブッシュ氏になったとすればブッシュ対クリントンという「よく知った名前のあの戦い」という事になります。両氏ともその兄、ないし夫は世論を沸かせた経緯がありながら、またその家族を選ぶかもしれないアメリカのコンサバさは注目する価値があります。

なぜアメリカはブッシュ、クリントンというありきたりの名前を選ぶのかといえば私はオバマ大統領に一つの理由があると考えています。同氏が大統領に就任した時、アメリカ初の黒人大統領として開かれた国、そして新たな道に挑戦するというイメージを植え付けました。が、オバマ氏の手腕は必ずしもアメリカ白人社会を興奮させるようなことはなく、むしろ、茶会党など対立軸を生み出し、イスラエルや中東を含む外交の失態が指摘されました。あるいはオバマケアや国債発行枠でもずいぶん苦い思いをしました。

ある意味、アメリカ人は今、我慢をしているように見えます。そして、次期大統領に圧倒的なアメリカらしさを求める気持ちが高まっているとも取れます。それ故、アメリカが活気のあった90年代、2000年代を回顧させる安心感を求めている部分はあるでしょう。ブッシュ父が大統領になったのが1989年。クリントンが93年から2001年でブッシュ兄がその後2009年まで継いでいます。その間、実に20年もブッシュ、クリントン時代をアメリカは愉しんだのです。そして今、再び「その興奮よ、もう一度」となっています。

これは確立したブランドを求める安心感であるともいえます。開拓者精神のアメリカにしては弱気、ないし、成熟しすぎて挑戦するマインドを失ったかのどちらかでしょう。しかし、私は過去にすがるアメリカは好きではありません。日本が師として仰いだのは常に新しいものを見つけ出す精力的なマインドだったはずです。

ベトナム戦争当時、アメリカには厭世観が蔓延したことがあります。学生運動から流行歌や映画も時代を背景にしたものが多かった記憶があります。ロックグループのシカゴの初期の作品は正にその代表ですし、ディアハンター、ランボー、地獄の黙示録など相当の数の映画が当時の社会風潮を背景にしています。

ソ連との冷戦を通じて力と力の戦いを勝ち抜き、パクスアメリカーナを達成したアメリカが911を引き金に新しい戦いを余儀なくされることで心の奥底に引っかかることがあるかもしれません。あるいは中国の台頭でアメリカがNO.1ではなくなる日が論じられていることもあるでしょう。これが今のアメリカの厭世観かもしれません。

少なくとも今のアメリカは地球儀ベースにおいて力量が劣り始めています。ブーマー層の影響力が徐々に低下する中、次の世代にうまくバトンタッチできていない部分もあるかもしれません。ヒスパニックなど非白人系の増加による国内の意見が統一しにくくなったこともあるでしょう。

ビックネームが大統領になることにより一時的な安ど感は得ることが出来ますが、それが未来のアメリカの顔ではないことも事実です。個人的には違う名前で盛り上がってもらいたいというのが愛着あるアメリカへの希望であります。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 6月19日付より