太平洋戦争開戦の経緯と大日本帝国憲法の欠陥について --- 宇佐美 典也

2015年07月24日 13:23

安保法制について考えるところがあり、太平洋戦争発端の経緯についてにわか勉強したのでその結果をまとめておきたい。

太平洋戦争は帝国陸軍の強い主張で始まった戦争だった。はっきりいって主要な行政組織で日米開戦をはっきり希望していたのは、帝国陸軍だけであった。なぜ帝国陸軍が強く日米開戦を希望していたのかと言えば、それは日中戦争の背景にアメリカを見ていたからということになる。当時帝国陸軍にとって日中戦争は最重要事項だったわけだが、完全に泥沼化していた。

本来日中戦争は短期決戦ー講和を予定していたのだが、それが蒋介石が徹底抗戦の意図を明らかにした時点で戦略目標を失いつつあり、かといって帝国陸軍としては始めた以上何らかの決着を付けずにはやめるわけにはいかず、完全に現場主導でのめり込んでいった。

結局日中戦争を終わらせるには国民党政府を徹底的に叩きのめすしかなくなり、そのためには仏印から蒋介石を支援する、いわゆる「仏印援将ルート」、を断たない限り日中戦争の勝利はあり得ないと帝国陸軍は考えるようになった。日米開戦の根っこは間違いなく日中戦争である。

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しかしこうした事情は帝国陸軍のみの事情であって、他の行政機関、帝国海軍すら、日米開戦を望まなかったが、帝国陸軍は統帥権干犯という憲法上の欠陥を利用して他者の介入を許さず膨張していった。当時の大日本帝国憲法では陸海軍は天皇直轄の機関として設計され、帝国議会の制御が及ばなかったのである。大日本帝国憲法の関係条文を最小限上げると以下の通りである。

 第5条 天皇は帝国議会の協賛を以って立法権を行う

 第11条 天皇は陸海軍を統帥す

大日本帝国憲法下ではあらゆる権利の源が天皇に置かれたわけだが、その中で立法権と統帥権は区別され、立法権は明確に帝国議会の影響が及ぶとされたのに対し、統帥権はその範疇に含まれないとも解釈された。そのため陸海軍は内閣を通さずに直接に天皇に帷幄上層し指示を受ける立場にあったが、一方で昭和天皇は「君臨すれども統治せず」を志向し、陸海軍に直接的な指示を下すことはほとんど無かった。結果として帝国陸軍はなにものにも制御されないまま、内部抗争を繰り広げつつ現場主導で暴走していった。

その結果日中戦争は現場に引きずられる形でなし崩し的に拡大したわけだが、これが逆説的な国際関係の悪化を招いた。特に中国での権益確保を望むアメリカとの関係の悪化は致命的になった。アメリカは1937年以降徐々に日本に対する経済制裁を強めてきた。当時の日本はアメリカに石油の80%、鉄の70%を依存していたのでこれを断たれるのは死活問題だった。以下はアメリカによる日本への経済制裁の経緯である。(wikipedeiaより)

1937年10月 ルーズベルトによる「隔離演説」
1939年7月 日米通商航海条約破棄を通告
1940年1月 日米通商航海条約失効

★1940年6月:帝国陸軍が北部仏印進駐

1940年6月 特殊工作機械等の対日輸出の許可制
1940年7月 鉄と日本鉄鋼輸出切削油輸出管理法成立
1940年8月 石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制
1940年8月 航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸
1940年9月 屑鉄の全面禁輸
1940年12月 航空機潤滑油製造装置ほか15品目の輸出許可制
1941年6月 石油の輸出許可制
1941年7月 日本の在米資産凍結令

★1941年8月:帝国陸軍が南部仏印進駐

1941年(昭和16年)8月 石油の対日全面禁輸

日米戦争を避けたい政府としては交渉による平和的打開の道を見出そうとしたが、これに強固に反対して妨害工作を行ったのが帝国陸軍だった。当時陸相だった東条英機は近衛文麿首相を辞任に追い込む。こうして今度は東条英機が首相の座に就くことになったわけだが、この時昭和天皇は東条英機に「日米交渉成立向けて全力を注げ」と指示する。東条英機は忠誠心の高い人物だったのでこれに従い一転全力で日米開戦回避に向けて力を注ぐが、残念ながら時すでに遅く、この時すでにアメリカ側は日米開戦を決意していた。直接の契機となったのは南部仏印進駐である。アメリカ側の努力は「どのように日本に戦争の最初の一手を引かせるか」というところに向けられており、それが「ハルノート」という形で具現化する。ハルノートは

・中国における大半の権益の放棄
・中国と仏印からの一切の軍隊の撤退
・汪兆銘政権の否定と国民党政府の再承認
・日独伊三国同盟の破棄

といった内容を含む日本側の利害を一切考慮しない激烈な内容だったため、ここに至って関係機関が日米開戦の覚悟を決め、これで日米交渉は不成立のまま終結することになる。なお1941年11月23日の陸軍の「機密戦争日誌」には「対米交渉の峠もここ数日なり。願わくば決裂に至らんことを祈る」と書いている。

このように太平洋戦争は

①「統帥権干犯問題」という憲法上の欠陥が帝国陸軍のガバナンス不在という問題を生み、

②その結果陸軍の現場の暴走をだれも止められず

③現場の暴走を上層部が追認し続け、

④そうした陸軍の暴走が日米関係の悪化を招き影響が全分野に波及し、

⑤日米開戦を決意しなければいけない状況に追い込まれた

というような形で起きた。多少物事を単純化して考えすぎかもしれないが、太平洋戦争を招いたのは一義的には帝国陸軍の現場の暴走であり、より広く見れば大日本帝国憲法の欠陥だった。安保法制の議論にあたってこうした太平洋戦争の失敗からくる教訓がもう少し語られてもいいように思える。

話はややそれるが現在の日本国憲法下でも「強すぎる参議院」「位置づけの不明確な自衛隊」「財政規律の不在」などそろそろガバナンス上の問題が抑えきれなくなっているように思え、こうした問題にそろそろ手を打ってもいいように思える。そうしなければ戦前と同様、国家崩壊の危機を生みかねない気がする。ガバナンスの問題は小さいうちに潰しておかないと、つぶせないほど大きくなるのではなかろうか。。。1000兆円の債務とか。。。

何が言いたいかわからなくなったが、ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2015年7月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。


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