誰が民主主義を殺すのか?

2015年08月10日 18:24

安保法制反対の言説の中で特によくわからないのが、「新三要件」に当てはまるかどうかを「政府が判断する」ことに対する批判です。「時の政府が判断するため、恣意的に解釈して悪用するのではないか」というのですが、ではいったい、誰が判断すればいいというのでしょうか。民主主義のもと選ばれた「時の政府」の判断が現実的であり、これを否定することこそ「民主主義を殺す」ことになりはしないでしょうか

その前に国連が何とかするはずだという意見もあるようです。本来、国連憲章では、加盟国が何らかの攻撃を受けた時には国連の理念でもある集団安全保障で対応すべきですが、その発動を待っていては間に合わない場合に(集団的・個別的)自衛権の行使が許され、行使後、国連に報告する、となっています。「国連がー」というならまず集団安全保障を認めてもらいたいものですが、なぜか日本では「最も恣意的に利用されかねない(しかもコストもリスクも高い)個別的自衛権」を「最大限使え」という声が多いので、よく分かりません。


安保法制反対派の中にはもうほとんど「反安倍」の方が先に立っているように思える言説もあります。おそらく「戦前を肯定する安倍が自衛隊を動かせば、きっと戦前の二の舞だ」ということでしょうが、新三要件に当てはまるかどうかを判断するような事態が起こる頃には、安倍総理でない方が国家運営を行っている可能性もある。現首相のパーソナリティに引っ張られ過ぎていないか考慮の上、ご判断いただきたいと思います。

民主主義を叫ぶ人たちが誰よりも民主主義を信じていないようで、数の暴力と言った指摘も含めて、一部界隈では民主主義が死んだなどと大騒ぎです。昨年二月に高知県で「国会の葬儀」が、小沢一郎さんらが喪主(?)となって行われています。勝手に殺すなと言いたいくらいですが、そのうち大々的に民主主義の葬式も行われるのかもしれません。

「民主主義の死」は確かに忌避すべき事態です。しかし恐ろしいことに、この世界には「民主主義が死ぬどころか、生まれることすら許されない」社会が存在しています。民主主義の死を何よりも恐れる方々ならもちろん、その恐ろしさを十分に想像できるはずです。

その社会では、「民主主義」を求める声すらあげることが許されない。ネットの書き込みもすぐに突き止められ、アカウント停止や警察からの呼び出しがあると言います。抗議のデモなど行えるわけがなく、命懸けの暴動に及ぶより他ありません。株の暴落が危ないとなれば株式市場の売買を停止し、「株を売ったやつは逮捕」という驚きの統制に出ました。人権派弁護士も次々身柄を拘束されていると聞きます。

異民族への圧迫は民主主義のある社会とは比べ物にならない苛烈さで、「民族の復権」のスローガンと表裏一体で、ヘイトどころかジェノサイドを行っています。被害に遭っている人たちは抗議の意を示して命懸けの暴動や焼身自殺にまで及んでいる現状です。

その社会では軍隊も社会の中枢も同じシステムで動いており、議会は完全に形骸化しています。民主主義という「歯止め」が効かないどころか、存在しない。なのに軍事費は年々増加。核も持っています。民主主義がない上に軍事大国で核保有国! 一部の人が絶対にその存在を許したくない社会が、なんと我々のすぐ隣に存在しているのです! 

にもかかわらず、なぜかこのお隣の社会が行うことに対して一部の日本人は「彼らに成り変わって弁解」します。「軍事的意図はない」「脅威ではない、煽るな」「暴走なんてバカなことはしない」「まだまだ怖い存在じゃない」「刺激するな」……その他。一方で日本の(つまり私たちの)自衛隊に対しては「歯止めが必要だ!」「暴走を抑えろ!」「武力を捨てろ」「防衛費を増やすな」と言い、民主主義制度の上にある政府に対しては「戦争をしたがっている」「民主主義を無視している」というのだから不思議です。

民主主義のもとにある政府・自衛隊よりも、共産主義のもとにある中国共産党・人民解放軍の方が信じられるのでしょうか。私は「中国脅威論を煽るな/自衛隊は暴走する」という言説の、この点が最も解せない部分です。過度に煽る必要はありませんが、私は自衛隊に「少なくとも何かあった時に中国に対応できる力や体制」を備えていてほしい。たとえかつての敵である米軍の応援を借りるとしても。

自衛隊に関しては、恐らく旧軍のイメージがそのまま乗っかってしまっているのでしょう。この七十年の「平和国家としての歩み」「自衛隊の国際貢献」を評価せず、少しでも現状を変えれば「戦前に戻る!」の大合唱です。
一方、中国に対しても、いまだに「被害者」としてしか見ていない。確かに七十年前は被害者だったかもしれませんが、さて今はどうでしょうか? わずか四十年前には自国民を数千万人も死に至らしめていますし、前述の通りいまや核保有国です。そういう「中国を刺激するな」論の人たちの思考は七十年前の時点で停止しているのではないか、という疑いがあります。

民主主義のない某国の脅威よりも、民主主義のある日本の暴走の方が怖い――おそらくハナから民主主義の力を信じていないのでしょう。異なる意見は「存在していて当たり前」だし、それが多数になることもあるわけです。それが許せないとなると……あなたの掲げているその旗に、「民主主義」ではなく「共産主義」や「全体主義」の文字が隠れてはいませんか。

民主主義に関しては、確かに私も数年前、疑念を持ったことはありました。「大丈夫なのか」と。尖閣沖の漁船衝突事件で、船長をおとがめなしで帰国させたような政府の時に、何らかの軍事衝突があったらと思うと、今も気が気ではありません。しかしむしろ「これが民主主義だ」とも思ったわけで、あの政権交代が起こった時、「これぞ民主主義の夜明け」とわき上がった人たちは一体どこへ消えたのか(おそらく国会前にいると思いますが)。

「そもそも民主主義は存在しなかった」(!)と言い出した高橋源一郎氏は〇九年の政権交代の時、「国民は自民党を見限って熟年離婚した」と言っていました。その「離婚」も「再婚」も、民主主義によるものだったのではないのですか。今「安倍辞めろ」と叫んでちょび髭をつけた写真を掲げられるのも民主主義のおかげ。中国でそれをやったらどうなるか。

「民主主義は死んだ」「始まってもいなかった」「私たちで作ろう」「今度こそ僕らの意見が通るはずだ」という「リセットボタン」感覚は、いわゆる若者のゲーム脳批判より深刻だと思いますが、望む結果が出なければまた「死んだ」「あれは偽りの民主主義だった」と言うのか(ずるいですよね)。

「平気で憲法違反をする政府だから批判しているんだ」と言われるかもしれませんが、そもそも九条と自衛隊の存在との間に大きな齟齬があり、そこを誤魔化すような答弁をするからますます話がおかしくなっていくので、まず憲法を改正しましょう。

民主主義にもポピュリズムに走るなど問題はありますし、私だって全面的に肯定しているわけではない。しかし「ヨリマシ」で、大事な時に判断を間違えない政府であるように投票したり、正しい情報を冷静に精査して、身近な人たちと話をしていくしかない。それが有権者の仕事です。

梶井彩子(@ayako_kajii)

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