「2015文学部的状況」考 --- 若井 朝彦

2015年08月12日 11:11

2015年8月1日の京都新聞『ニュースを読み解く』欄に「人文系学問の未来」と題して二人のインタヴューが載っていた。ひとりは(京都大学研究科長・文学部長)川添信介氏、もうひとりは(国際日本文化研究センター所長)小松和彦氏。

博物館の所蔵品のようになってしまった人文系学問≒大学文学部については、もはや関心にも及ばないという向きもあるだろうが、文学部はともかく「文学」一般は大切である。記事を出発点に、すこし考えてみよう。

ところでこのインタヴュー欄は、いつもは、護憲派:改憲派であるとか、規制緩和:護送船団とか、TPP:JA?とか、国債増発:消費税増税とか、紙上の「二家争鳴」が狙いのはずなのだが、今回は、両者の主張を逆にしても気がつかないほどであった。

「しかし、人文学が人類全体にとって必要という前提に立てば、学問を継承する人材を育てるという役割を放棄するわけにはいかない」(川添氏)

「極東にあり、西から来た文化が蓄積した日本には、自分たちでも気づかないような世界に影響を与える文化がたくさんある。・・・埋もれている文化を掘り起こして学問としての意義を発信する伝道師的な研究者を育てていく必要がある」(小松氏)

構成されたインタヴュー記事の中から「山」の部分を拾って引用したつもりだが、それでもこの主張にはするどさがない。二人の相乗効果どころか、相和効果もかなりあやしい。

両者とも「人文学が人類全体にとって必要という前提」や「日本には世界に影響を与える文化がたくさんある」ことを具体的にあきらかにして、あまねく知らしめれば、予算がどうの、制度がどうの、最近の学生がどうの、という繰り言に終始する必要などなく、問題はほぼ解決である。これは過大な要求であるかもしれないが、こういう表現ができるということが文学なのであって、両者の肩書には、そういう目標くらいは含まれているはずだ、とわたしは思うものだ。

けれども大学の惨状はともかく、「人文学の意義」や「日本文化の世界性」について発信する人は、減ってはいない。大学にいないだけである。むしろ文学一般への欲求は高まっているとみる。

日本国内にいるだけにせよ、イスラム圏や中国の人々との関係は今後も増えて深まることだろう。その場その場で我々は適切な対応を迫られている。

また、個人がなにかに帰属する、といった意識は、ますます希薄になることだろう。それにともなって死生観も変化しないわけにはゆかない。

誇りや自尊心が、快適や安逸にどんどんすり替わってゆく。怒りの矛先が、無関係な人に向けられたり、また過度に抽象的になりはしていないだろうか。

こういったことを考えるのが、広義の文学であるはずなのだ。

そして研究室の狭義の文学もまた解放されつつある。知見はわたしの守備範囲に限ってであるが、この1、2年のWEB上の古文献の充実はすごい。しかしこれもまだまだ序の口で、大学が文科省傘下である以上は、年々一層有益性を迫られることはたしかで、所有の蔵書文書のWEB公開も追いたてられてなお加速することだろう。

京都にある国宝文書、

 御堂関白記(陽明文庫)、
 東寺百合文書(京都府総合資料館)

のWEB公開も時間の問題だとわたしは思う。このふたつがWEBに上がれば「明月記」の主要部もきっとつづくだろう。未公開の文献は、国宝といえども見捨てられてしまうだろうからだ。肩書がなくても、だれもが文献にかなり接近することができるようになる。どうしたって大学の文科の空洞化はとまらない。

ところでいささか意地悪だが、相当の地位にある大学の先生には、ちょっと質問してみたいことがある。

「あなたは大学を離れて無職無給になっても、望まれれば弟子を指導することができますか。そして名誉教授のあなたに弟子が来ると思いますか」

殉教の覚悟を訊ねているのではない。人文学の価値をどこまで信じているかが知りたいのである。

若井 朝彦(わかい ともひこ)
書籍編集者

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