主張も社風も「似た者同士」の産経新聞と朝鮮日報

先の拙稿「素人考(3)」に対し、Ogura Simon氏からは「古今東西、全ての解は中庸にある」と言うご意見、Justice さんからは「反対の意見ばかりでは無く賛成の意見も聞いてみたいと言ったタレントが、ネットで袋叩きにあった事」を嘆くツイッターを頂いたが、これは「人には口が一つなのに、 耳は二つあるのは何故か? それは自分が話す倍だけ他人の話を聞かなければならないからだ。」と言う、西欧の教え(ユダヤの教えとか、ギリシャ古来の諺とか諸説あり)に通ずるもので、日韓問題や安保法制の論議には心すべき視点である。

ところが、これ等の問題についての産経新聞と朝鮮日報の記事を読み比べて見ると、主語と目的語を入れ替えるとどちらが産経でどちらが朝鮮日報なのか区別がつかないくらい、お互いそっくりの論法で非難しあっている。

日本の新聞では、特に読者誘導記事の多い産経でも、読ませる記事を書く辣腕記者はいる。

実例を挙げれば、知韓派の黒田勝弘記者の記事は、広く深い教養だけでなく、同氏の韓国関係記事は韓国に対する尊厳を忘れない風格が感じられ、如何に厳しい韓国批判であっても説得力を感じるが、同じ知韓派の若宮啓文前朝日新聞論説主管の記事や意見は、読み出しただけで結論が見える単調な「学習型記事」が多く、いくら「韓国礼賛論」を書いても感服した覚えがない。

この事からも、記事は内容以上に、筆者の野心の無い動機と一貫した誠意が読者を動かす事を痛感する。

他にも、防衛法制で「ネガテイブ・リスト」を主張する軍事問題に詳しい野口裕之記者(日本滅ぼす「101本目の法律」参照)や、慰安婦問題で詳細な調査を行ない、執拗に朝日新聞の誤報を追及した阿比留 瑠比記者なども優れた記者だと感心する(但し、朝日が誤報を認めた後の阿比留氏の追い討ち記事には感心しない)。

排他的で気品に欠け、劣等感と嫉妬心が強く、国粋主義的で欧米に弱く、唯我独尊に満ちている点では似通った産経、朝鮮日報両紙だが、朝鮮日報の記事の質の悪さは翻訳の問題があるにしても頭抜けており、文字通り「味噌、糞、嘘」が並列している感じである。

そして、両紙に寄稿する顔ぶれの殆んどが、両紙を持ち上げる「よいしょ派」に集中している事もその特徴で、両論併記の習慣は両紙には無くあるのは自説の押し売りだけである。

産経新聞で、朝鮮日報に似て「虚実」を巧みに混ぜて読者を誘導する確信犯がワシントン支局の古森義久記者で、筆者は彼の記事は小説として読む事に決めているくらいだ。

勿論、ここに書いたコメントは筆者の独断と偏見によるもので、世間の反応がネガテイブであれば反省して考え直すか、もう少し説得力のある反論を試みる以外にないが、それが民主主義には欠かせない「対話(Dialogue)」と言う物だろう。

然し、両紙に「極論」が多いと言っている訳ではない。

歴史を見ても、主張した当時は「極論」と見做された論議が、沈滞した世相を刺激して世の中を覚醒させたり、極論が実は正論であった例は多い。然し「極論」と排他的論議や唯我独尊と混同する事は避ける必要がある。

それはさておき、あるネットに「似た者同士がいがみ合う」例としてこんな主旨の記事が出ていた。

この記事には「染め毛」に対する偏見に満ちた表現が数多く見られたので、その部分を修正しながら引用する。

「日韓の サッカー試合を見ると、両国の選手は男女共に茶髪、金髪、赤っぽい色に染め、顔や髪だけ見てると、両国の選手の違いがまったく分からない。欧州の選手でも日韓の選手らよりも髪の色が濃いのに、なぜ日本人も朝鮮人もまったく同じことをするのか? 白人コンプレックスの塊で、内面の貧しさが現れてるとしか思えない。日本人に朝鮮人と似てると言うと日本人は猛反発するが、世界中で両国の人間ほど似通った国民は他にいないと、サッカーの試合を見てつくづく思った。」

日韓両国の染め毛の色と同じように、産経、朝鮮日報両紙の色〔主張〕もごく限られている事、両紙の共通点を指摘されると興奮して否定すること、朝鮮日報は日本に、産経新聞は伝統的な大新聞、特に朝日へのコンプレックスの塊である点、内面の貧しさを隠す為に「権威」を利用する点、論議が行き詰まると「外国人」を担ぎ出す癖があることなど、ここに描写された日韓サッカー試合と産経新聞と朝鮮日報の非難合戦に共通した処が多いのには驚く。

両紙の悲劇は、この様な報道姿勢が日韓両国の評価を下げ、結果として産経新聞、朝鮮日報が一流紙になれない理由になっている事である。

以上のように両紙を批判して来た筆者だが、その知識は所詮「電子版」を通じて知った浅はかなものである事を白状しておきたい。

そして、筆者の見解に異論のある方は、暫くの間、朝鮮日報産経ニュースを読み比べて見て戴きたい。

2015年8月13日
北村 隆司