素人考(3)護憲派に欠ける平和を守る知性と勇気

自民党の武藤衆院議員の「SEALDs(シールズ)」非難が論議を呼んでいるが、「デモ行為」は何処の民主国家でも言論の自由、表現の自由と共に国民の基本的人権として尊重されており、暴力行為に発展しない限り最大限保護されるべきものである。

特に憲法第五十一条 で「両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。」と特別な言論保護を受けている国会議員は、院外での発言が権力の介入と誤解されない特段の努力が求められるが当然だが、武藤議員の場合は発言内容の酷さを考えると、問題以前の議員失格である。

一方、「戦争法案廃案!」 を主張する「戦争をさせない1000人委員会」等の「平和運動団体」は、示威活動そのものが目的ならいざ知らず、政治的目的があるのであれば、その目的の実現までのステップを合理的に示した示威活動をすべきで、今のままではデモを警備する警察の費用を税金で負担する国民に迷惑をかけるだけである。

「平和憲法を破壊するな!」と言うが、「戦争憲法」を掲げている国家の存在などは聞いた事もなく、戦争を始めるのも平和を維持するのも人間であって、憲法自体は戦争にも平和にも直接関係無い事は常識中の常識である。

現に領土の拡大に忙しい中国ですら、中国の繁栄を支える5原則として「1.主権・領土の相互尊重、2.相互不侵犯、3.相互の内政不干渉、4.平等互恵、5.平和共存を」を憲法に掲げ、興奮し易く好戦的な韓国の憲法も「内には国民生活の均等なる向上を期し、外には恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することにより、我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを誓う」と規定しているが、両国を平和国家だと信じる人は少ない。

戦争は馬鹿でも始められるが、平和を維持するには忍耐強く冷静な国民に加え、指導者の知性と勇気が必要である。

海外では日本の憲法を「パシフィズム憲法」と呼んでいるが、これは「平和憲法」と言うよりは「無抵抗主義憲法」の意味に近い。

「平和憲法をを破壊するな!」と叫ぶ平和団体の指導者に、ガンジー、アインシュタイン、ヘレン・ケラー、トルストイ等の高名なパシフィストの知性やベトナム戦争に抗議して焼身自殺した僧侶や少数民族弾圧に抗議する記事を書き続け、ロシアの秘密警察に虐殺されたポリコウスカヤ記者の勇気があるとは思えない。

護憲派のもう一つの問題に、憲法のご都合主義解釈がある。

護憲派が「傑作」と絶賛する日本国憲法の前文には:

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」

とあるが、数多ある「平和運動団体」が「専制と隷従、圧迫と偏狭」に苦しむアフリカ、アジアの諸国民の解放の戦いへの参加を訴えたり、欧米各国が手分けして引き受けている難民の引き受け運動を展開した事は寡聞にして聞いた事がない。

これでは平和運動団体自らが「自国のことのみに専念して他国を無視してはならないと言う法則に従ふことは、自国の主権を維持する責務である」と言う憲法の規定に背いて「自国の主権の放棄」に手を貸していると批判されても反論出来ないであろう。

一方、「国連平和維持活動(PKO)」への参加は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と言う日本国憲法を忠実に遵守している事を世界に訴える絶好の機会であったが、これも「護憲派」の反対にあって腰が引けた状態が続いている。

このような憲法のご都合主義解釈では、世界の支持を得られる訳がない。

護憲派の主張の中核に「非武装中立」と言う考えがあるが、これも噴飯物だとしか言えない。

ウイキペデイアによると、永世中立には多くの条件を満たす必要があり、その中には。
(1)複数の国家の同意による「中立化」が必要である。
(2)永世中立国はその中立である領土を他国の侵害から守る義務がある。そのため常設的な武装が求められる。
(3)永世中立国は、自衛の他は戦争をする権利を持たない。
(4)軍事同盟や軍事援助条約、安全保障条約の締結を行わず、他国に対して基地を提供してはならない。

等が含まれるが、その中の「領土を他国の侵害から守る義務と常設的な武装が求められる」と言う一項だけでも「非武装中立の実現」が幻想に過ぎない事が判る。

百歩譲って、国際的に承認された唯一の永世中立国スイスのように、徴兵制を含む強力な防衛政策をとる武装中立を求めるにしても、その中立維持に必要な複数の国家の同意を得るには知性と勇気に支えられた永年に亘る言行一致が築いた信用の獲得が前提で、事あるごとに右往左往する日本には、所詮「高嶺の花」に過ぎない。

「戦争をさせない1000人委員会」の呼びかけ人に名を連ねた数多くの日本の代表的「知識人」の先生方が、厳しい社会の現実を解決する知性もなく、専制と隷従、圧迫と偏狭に苦しむ諸国民の解放に参加する勇気も無しに、「憲法のご都合主義解釈」で世界平和を勝ち取る事が出来ると信じているとしたら、それは単なる「政治芸人」の描く夢に過ぎない。

2015年9月11日
北村 隆司