安保法案をめぐるドタバタのおかげで、多くの重要な問題が先送りされた。特に年末の予算編成に向けて厄介なのは、6月に出た「骨太の方針」が「3%成長」に期待して歳出削減を封印し、財政再建を放棄したことだ。来年度予算も100兆円を超え、FRBが利上げすると金利の上昇圧力が強まる。
「財務省支配」の神話とは逆に、日本の財務省は官邸や与党への根回しなしには予算編成のできない「弱い予算官庁」である。日本の統治機構は割拠的な「官僚内閣制」といわれるが、そこに族議員や派閥もからみ、国会日程には参議院が大きな発言権をもつ複雑な「家」の連合体である。
こういう利害対立を調整する司令塔の役割を、かつては大蔵省が果たしていたが、1993年の細川内閣で斎藤次郎次官が小沢一郎氏と結託して自民党を無視したことから、自民党との対立が始まり、不良債権処理の失敗で金融庁が分割された。
小泉政権は官邸主導で社会保障の膨張を抑制し、財政を改善した。しかしその絶好のチャンスに消費税を引き上げなかったため、これが後の政権の重荷になった。その後はもとのスパゲティ状態に戻り、素人集団の民主党政権は混乱をさらに拡大したが、なんとか消費税の引き上げは実現した。
安倍首相は安保法案では指導力を発揮し、久しぶりに2期目の長期政権になるが、「強いリーダー」にはほど遠い。特にこれから急速に膨張する社会保障費については、何の対策も取っていない。厚生労働省の社会保障特別会計は一般会計を上回る110兆円にのぼるが、「統帥権の独立」で財務省にもコントロールできない。
こうみると明治憲法でできた「中心なきタコツボ構造」は、150年たってもほとんど変わっていない。かつて日本を戦争に引きずり込んだ、全員一致できない問題は先送りする「決められない政治」は、ステイクホルダーが増えてますます重症になっている。
本書もいうように、これから本格化する「負担の分配」は、今までのような積み上げ式・増分主義の予算編成では乗り切れない。安倍首相が本当の指導力を発揮できるかどうかは、今年の予算編成でわかるだろう。