「福島を元気に」知恵競う高校生会議

全国の高校生が福島の復興やエネルギー問題を考える「ハイスクール世界サミットin福島」が、8月8日までの3日間、福島県いわき市で開かれた。原子力や再生可能エネルギーの活用、復興を阻む風評被害への対策といった難しいテーマに対し、未来を担う世代が見識を深め、今後も継続して考えていくきっかけとなったようだ。

写真1・安倍首相のメッセージ

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写真2・学生らの発表

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斬新な提案、次々と

「環境に配慮した安定電源として火力と原子力のどちらを選べば良いのか」、「現地を訪れ報道との違いを感じた」――。「エネルギーと環境」、「福島の再生」の2つのテーマについて考えるワークショップでは、初日に訪れた富岡駅などの現地視察や、それぞれ持ち寄った事前の調査結果を踏まえ、1日半かけて議論を深めていった。今回初めて国際大会として開き、18都道府県、海外12カ国から約80人が参加した。

エネルギー関連では、電源ごとのメリットやデメリットなどを踏まえ、次々と提案が発表された。あるチームは2030年度の電源構成(エネルギーミックス)に対し、再エネの最大限の活用を前提に、原子力を使う派と使わない派、それぞれの〝エネミックス〟を導き出した。

利用派は、安定した発電量やCO2排出量の少なさなどから「一定量は使うべき」と主張。再エネ62%、コージェネレーション13%、原子力15%、火力10%という案を示した。太陽光との組み合わせを想定したコージェネの比率や、再エネの内訳で波力や廃棄物発電を設けるなど、政府のエネミックスにはない視点がいくつも見られた。ほかのチームからは、東北のやませや雪を発電に活用するといったアイデアも出された。

福島の再生では、課題として、①がれき撤去や除染の進捗の地域差、②高齢化や医療、一部地域での人口集中といった問題、③行政と住民、特に若者との距離感――などが挙げられた。そしてほとんどのチームから発信されたのが、「自分の目でみることの大切さ」。意見交換する中で現地と報道のギャップ、さらに国内外での報道の違いに気付いたという。

浜通りのにぎわいを取り戻す策として、地元民しか知らない地域の良さを伝えるツアーや、人が集まる大型ショッピングモールをつくる案、さらには、観光客が線量計を持ってまわり、結果を公表して安全性の発信にもつなげるといった斬新なアイデアも。それぞれが感じたことを地元でも情報発信していくと強調した。

「卒業生」のアイデアが実現

サミットの意義の一つが、成果を持ち帰りその後の活動につなげることだ。具体化したプロジェクトとして、復興のシンボルとなる道の駅を広野町につくる構想の報告があった。過去サミットに参加し、いまは大学生となった「卒業生」が中心となり、同町や国土交通省と議論を重ね、20年に竣工する予定だ。

道の駅の柱は、生活再生の支援、防災、エネルギーなどで、通常の観光施設にはない機能も設ける。エネルギー館では電源立地地域や被災地の歴史を展示し、現行や次世代の技術を学べる場とする。避難生活体験所は、避難時の寝食体験で災害を自分事として捉えさせ、非常時の防災機能も持たせる。ほかにも施設のシンボルとして桜を植樹し、まわりには絵馬掛けを設置して再訪を促すといった説明もあった。具体的なプロジェクトに触れたことで、サミット卒業生から今後も新たな活動が出てきそうだ。

継続して考えるきっかけに

後半にはアドバイザーとして安倍昭恵首相夫人や森まさこ参院議員らが登壇し、高校生と意見交換した。活発に質問が飛び出し、高校生ならではの突っ込んだ内容もあった。エネルギー関連では、原子力利用への見解や原発輸出のメリット、エネミックスの原子力比率を担保するうえで必要なことなど、原子力に関する質問が多く挙がった。

一方、相馬市の高校生からは、「浜通りに住みたくないという声を聞くが、相馬市に4年いて体に何も起きていない。帰ってきた人もいる。そうしたことをもっと報道してほしい」という切実な声も。安倍首相夫人は、「怖がらせるような報道もあるが、今日感じたことを周囲の人に伝えてほしい」とアドバイス。森議員は、「被ばくの知識を持ち冷静にデータを示すことが大切」と説いた。 

サミットを終え、島根県の男子生徒(16)は、「エネルギーについて多方面の意見が聞けて勉強になった」。千葉県の女子生徒(16)は、「環境に興味を持っていたがエネルギー問題をより考えるようになった。これからも考え続けたい」と、充実した表情を見せていた。 (了)

(写真3)
会議の中心になったNPOハッピーロードネットの西本理事長と復興庁政務官の小泉進次郎氏

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ハッピーロードネット西本由美子理事長-帰還できる町づくりを最優先に

15年ほど前から福島県の相双地方の高校生の就活支援や、高校生主導で町の活性化を進めてきた。しかし震災でがらりと変わった。子供たちは各地にばらばらになり、中には亡くなった子もいた。彼らのために何かしなければと、震災直後は安否確認と物資配達で被災県を回った。

今の取り組みは、震災前に子供たちが活動の柱として決めていたことだ。「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」は、帰郷を満開の桜で迎えたいと思い、いわき市から新地町までの約300kmに10年間で2万本を植える計画。すでに6500本以上、オーナーも8000人以上と応援してもらっている。桜が復興の証となり、観光を通じ職が見つかるような、そうした復興を目指している。5年後の五輪では植樹した道で子供たちと聖火リレーを走り、世界の人を迎えたい。

ハイスクールサミットも12年から再開した。OB、OGの大学生が企画し、震災後は常に復興とエネルギーがテーマ。ことし国際大会としたのも彼らの意見だ。

12年にはウクライナのスラブチッチ市を訪れた。チェルノブイリ原発事故後2年弱でつくられた復興都市で帰還の成功例だが、双葉郡にはいまだにこうした望む街はできていない。12年末に広野町に戻ったが、病院も学校も店もなく治安の問題もある。住まないと分からない現状が、地域外からはまったく見えていない。夢を持てる町ができてから帰町宣言すべきで、国のトップにはそういう決断をしてもらいたい。このままでは双葉郡8町村はなくなってしまう。

広野町にいる多くの廃炉作業員には、家族と暮らせることで働く意欲を持ち、誇りを持てるようになって欲しい。マスコミは東電を叩くが、作業員がいなければ私たちは故郷に住めない。東京都民は実態を知らずに批判するだけでなく、自分の立場に置き換えて考えてもらいたい。今後のエネルギーを語るには、教育は欠かせない。(談)