地方に再配分される税を考える

政府は企業の法人住民税を一旦プールし、その一部(3兆円のうち1兆円とされる)を地方に再配分する検討を進め、法制化する準備を進めるそうです。地方活性化政策の一環であります。

1989年、バブルの真っただ中、時の首相、竹下登氏は「ふるさと創生事業」として地方交付税の交付団体である全ての市町村にそれぞれ1億円をばら撒き、使途を問わないとしました。当時、相当話題になった政策です。私の記憶が正しければ使い方に相当ばらつきが出て批判を受けた市町村もずいぶんありましたが、それ以上にこんなばら撒きは政策として正しいのか、という議論の方が盛り上がりました。

その後、2009年のエコポイント政策では国民レベルでの一種のばら撒きをしたわけですから日本は時として「餅まき」的大盤振る舞いをする国だともいえましょう。根本発想は「広く、薄く」だと思います。東京や大阪など都市部だけではなく、北海道から沖縄まで皆が同じ餅が食べられるようにするのが日本の流れであるとも言えそうです。

今回の安倍政権の打ち出した餅まきはかつてのやり方よりはるかに洗練されています。潤う都市には交付されず、資金を必要としている地方にそれを分配することで経済活性化を図るという手法は珍しくありません。

カナダでは国家を代表する連邦政府と高い自治権を持つ州政府という二階建ての仕組みです。理由は国土が広く一律の政策は有効ではないからであります。連邦政府が集める税の一部は各州に再配分されますが、ここでも富める州には配分は少なく、開発途上の州により多くの資金が配分されるような基本システムが構築されています。

日本も細長い地形の中、気象条件など一律の政策を押し付けにくい性格を持っています。ところが県レベルでの自治権は限定されるため、当然、中央政府が一定の配慮をすることが必要となります。江戸時代、徳川政府が長期にわたった支配を続けることが出来たのは参勤交代などを通じて地方を疲弊させ、クーデターが起きないようにしたこととされます。今、日本は疲弊化ではなく、活性化ですから地方に有効な援助をすることは理に適っていると言えそうです。

但し、援助にもいろいろあります。そして今回の安倍政権が提案する法人地方税の再配分は竹下元総理の一回だけのボーナスやエコポイントの餅まきと違い、継続的な政策であります。よってその使い方を一歩間違えれば「中央からお金が降ってくる」という発想に変わりかねません。

ある地方で国民宿舎の建て替え話があるのですが、その背景は中央から様々な交付金が出る、地方銀行も活性化の為に融資を積極的に行わなくてはいけない、だから資金的援助が受けやすいので建て替えるというシナリオです。民間企業ならその地に宿泊設備を作った際、需要があるのか、投下資本はどうやって回収するのか、でまずありきです。ところがハコモノに集る一部の早耳筋がそういう事業をぶち上げ、地元建設会社などが潤うことに重点がかかり、出来上がった箱をどう運営するかは二の次になっています。これでは過去の教訓が生かされないでしょう。

私がやるなら過疎地の集約化による高齢化社会への対応でしょうか?天災の度に土砂崩れなどで取り残される集落のシーンはお馴染です。集落そのものも自治が難しくなっていると共にそのインフラを維持するコストもバカになりません。むしろ地方活性化とは減りつつある人をひとところに集め、共同体として再活性化させる発想もあると思うのです。先祖代々の土地という気持ちは徐々に薄れてきています。その変化をくみ取ることも大事ではないでしょうか?

今回の再配分される法人地方税の発想そのものは賛成ですが、その使い方はどうしても施設の建築などに向かいやすくなります。地方が再生という超長期のプランを描いたうえで今、何をすべきか考え、その審査方法についても高い透明性、市民の声の反映、国策との整合性などを含め、無駄のないものにしてもらいたいと思います。

では、今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 10月27日付より