原子力規制庁、活断層問題「説明拒否」を続ける異様

東田八幡
環境法研究家

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敦賀発電所の敷地内破砕帯の活断層評価に関する「評価書」を巡っての原子力規制庁と日本原電との論争が依然として続いている。最近になって事業者から、原子力規制委員会の評価書の正当性に疑問を投げかける2つの問題指摘がなされた。

一つは、活断層評価の評価主体の変更の問題である。このことは事実(文書)を見れば歴然としている。これが原子力規制委員会から、活断層を事実上認定する規制委員会の設置した有識者会合に変わっている。この有識者会合は、その存在について法的根拠がない。それなのに原子炉の存続を左右する活断層の認定の権限を事実上与えられている。

平成24年(2012年)9月26日以来の原子力規制委員会の文書等を参照すれば、従前は原子力規制委員会が評価主体であり「自ら確認・評価する」、「活断層であるかどうかを判断する」、「(委員会として)判断する」、「評価した」としていたことは事実に照らして歴然としており、疑いの余地はない。それを昨年12月3日に委員会へ「報告するもの」、委員会として「受理」するだけと突然変えたのである。このことは、委員会の文書類を対比してみれば明らかである。

反論ができない原子力規制庁

しかし、原子力規制庁は「評価、判断の主体が変わっているとの指摘は当たらない」と回答している。もしそのように主張するならば、規制庁は証拠を示して具体的に反論しなければならない。しかしながら、原子力規制庁の面談記録を見る限り「当方の見解はこれまでの面談において述べてきた内容のとおりである」旨の回答を繰り返すばかりでまともな反論をしていない。というか、反論ができないので、権力を楯に突っぱねている、というのが外から見た率直な印象である。

これで規制機関としての説明責任が果たされているとでも思っているのであろうか。官房長官が良く口にする「法治国家」の我が国においては、規制機関たる者は、「行政運営における公正の確保と透明性の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資するよう」努める義務がある。それなのに、このような規制機関による明白な不正行為を目の当たりにしながら、どうしてマスコミ等は沈黙を保っているのであろうか。

開示文書で問題点が露わに

もう一つの点は、本年3月25日に委員会に報告された最終「評価書」において、それまで公開の場での審議には一度も付されたことのなかった「文言」が突如として現れたという問題である。それも評価書の根幹をなす結論部分だというのである。平たく言えば、結論が実質的に変更になったということである。

昨年12月10日のピアレビュー公開での審議(ピアレビュー)までは、「K断層は、D-1破砕帯と一連の構造」とされていたものが、本年3月25日版本年3月25日版では、「K断層は、D-1破砕帯等、原子炉建屋直下を通過する破砕帯のいずれかと一連の構造」(下線筆者)と書き換えられていたということである。これは確かに重大な変更である。

単なる「言葉のあや」という代物ではない。重要な結論が「密室」で書き換えられていたということである。「すべて『公開』で議論しているのでいちいち答える必要はない」という田中委員長の常々の発言にも真正面から反するものである。

これは「活断層であるK断層がD—1と連動し、そのD-1が原子炉下を通る」という趣旨の結論を左右する重要な部分である。その論拠が突如あいまいな表現に書き換えられているのに、最終報告書の結論は変わらない。

そのため日本原電は、この公開での審議のなかった空白の4か月弱の間の議論や修正の経緯等について、文書開示請求を行い、そこで開示された文書開示された文書の分析を行った結果の分析を行った結果を公表している。それによっても、この結論の重大な変更については、「有識者間でどういう科学的な議論がなされたうえで、いかなる科学的根拠や理由により、どのような形でコンセンサスが得られたか」を明らかにすることができなかったという。

そのため事業者は、原子力規制庁に対し、このプロセスについて面談での説明を求めたが、これについても「開示した文書がすべてであり、面談は行わない」との通告を受けたとの由である。

これはとんでもないことである。規制機関が公権力の行使として事業者の財産や社員の基本的人権、さらには事業者の存亡にもかかわる決定をしているわけである。それに対して十分な説明をすることが必要なことは、行政の説明責任や行政手続法を引くまでもなく、規制機関として当然のことであり、行政機関の義務なのである。

なぜ原子力規制庁は説明を拒否するのか

それなのに現実には、こんな当たり前のことがなされていない。ここで再び原子力規制庁が事業者に対して説明を拒否する事態が発生したということである。評価書の結論を変更する科学的根拠や理由があり、必要な手続きを踏んでいるのならば、正々堂々と説明すればいいだけのことである。大した手間も時間も掛からないであろう。では原子力規制庁は、どうして「開示した文書がすべてである」としか答えないで、具体的な説明を拒否するのであろうか。

それは説明できないからであろう。事業者が10月27日に公表した開示文書の現物を見ても、確かに変更した理由や科学的根拠等は何にも出てこない。一言「限られたデータの中でそこまで踏み込んだ検討を行ったわけではないので」ということが書かれた箇所はあるが、その説明では「いずれか」という新しい文言を入れた理由は理解できない。

さらに、別の個所では、「ピアレビュー会合での3人の有識者の指摘を受けて変えた」ともあるが、事業者が言うように、この3人の意見は「相互に科学的な整合性や論理的相関性等がまったく見られない」ものであり、この「3つの指摘に対する対応として」「いずれか」を入れたと言われても何のことかさっぱり理解できない。

これらの一連の流れからわかったことはただ一つ、評価書の結論を変えた理由は、開示文書では説明できていないということである。原子力規制庁は「開示文書がすべて」であり、「説明しない」と言っているが、これは、説明しないと言っているのではなく、「説明できない」と言っていることと同義なのである。原子力規制庁は説明できないのであろう。

第3者検証が必要である

原子力規制庁が事業者に対して本来するべき「説明をしない」という問題が露呈した以上、政府としては早く手を打つべきである。事の真相がまだ明らかでないとすれば、直ちに第3者の目で、事実関係の確認を行うとともに事の正否を明らかにするための検証をすべきである。この問題は、すでに3年を経過しているのである。

最近次々と20年30年前の刑事事件における「冤罪が世の中を賑わしているが、このケースも規制行政における一種の「冤罪」と言ってもいいのではなかろうか。傷口が広くならないうちに行政の自浄作用を働かせるべきである。筆者が以前から指摘しているように、行政府の中で行政の評価、監察機能を担う総務省が今こそ乗り出さなくてはならないと思う。