「ジリ貧」から「ドカ貧」へ 『大政翼賛会への道』



世界的に極右ポピュリズムが注目を浴びている中、ながく絶版だった本書の価値は1983年の初版のときより高まっている。「戦争法」に反対する人々は、安倍首相をヒトラーと同一視して攻撃しているが、日本の歴史には、ヒトラーのような独裁者は一度も出てこなかった。

近衛文麿は政権基盤の弱い「公家」であり、朝日新聞などの大衆的な支持に支えられたポピュリストだった。彼は政党も官僚も軍もバラバラのままでは総力戦が遂行できないと考えて大政翼賛会の指導者になったが、右翼から「天皇の大権を犯す幕府だ」と批判されると党の綱領も書けず、「近衛新体制」はわずか半年で終わった。

戦時体制の中核は極右のファシストではなく、国家社会主義の理想に燃えた「革新官僚」と陸軍統制派の「革新将校」だった。彼らは政争を繰り返す腐敗した政党政治を否定し、「一国一党」の戦時体制をつくろうとして翼賛会を利用した。

しかし軍も官僚もタコツボ的な既得権を守り、翼賛会には従わなかった。財閥も翼賛会に反対し、彼らを「赤」として取り締まるよう政府に求めたため、1941年の企画院事件で革新官僚が大量に検挙された。この結果、軍部の力が相対的に強まり、軍部の中間管理職が戦争の方針を決める下剋上が常態化したのだ。

大きな組織が縦割りになるのは普遍的な現象だが、日本ではその上に立つリーダーを無力化する下剋上の力がつねに働くのが特徴だ。これは明治憲法では統帥権の独立として明文化され、各省の大臣も内閣とは独立に天皇を輔弼し、直接に上奏できる権限をもっていた。しかも情報が共有されず、陸軍と海軍は大砲の口径やネジの巻き方まで別々だった。

だから唯物史観の戦後歴史学のように、ファシズムを「社会主義に対する反革命」ととらえるのは誤りだ。そもそも日本では、ヒトラーやムッソリーニのようなファシストは政権を取れなかったので、30年代の政治をファシズムと呼ぶべきではない――という著者の主張は学界で大論争を呼んだが、今日では通説とみなされている。

いま日本が直面しているのもファシズムではなく、原発停止でエネルギーが不足し、与党のポピュリズムで軽減税率によって政府債務が拡大するジリ貧状態である。潜在的には日本の財政も社会保障も破綻しているが、世界的なゼロ金利に救われている。しかしこの状況が、永遠に続くことはありえない。

大衆に迎合して問題を先送りしていると、そのうち本物の危機が来るだろう。安倍首相に似ている近衛が内閣を投げ出した1941年、彼の後を受けた東條英機首相が、財政・エネルギーのジリ貧を打開するために開始した日米戦争が、日本をドカ貧に陥れたのだ。