取締役で終わる人、部課長で終わる人

企業経営において重要なことは、まず、社会性を認識する。次に社会的信用を徐々に得ていく。そして最終的には、「社徳」を高めるということである。そのための努力をしてこそ、その企業は本物と認められるのである--之は、国友隆一著『取締役になれる人 部課長で終わる人〈2〉』(経済界)の中に載っている小生のコメントです。当該書のタイトルで述べるならば、こう在らねば取締役になれない、というわけではないと思います。社長職に就くのはそう簡単ではないですが、取締役レベルであればある程度の人物ならば求められる素質・素養の類に必ずしも必須の条件はありません。


例えば、偶々ある派閥が存在しある人がその派閥に属していたところ、その派閥が社内で力を持つようになったが故、取締役になれたという人もいるでしょう。あるいは、偶々自分の上司がどんどん出世し、自分も取締役にまで引っ張り上げて貰ったという人もいるでしょう。だから取締役にはラッキーでなれた人も中にはいるように思います。つまり私が何を言いたいかと言えば、より重要な問題は取締役になってからの評価であり、当職としての仕事を十分に出来たか否かが問われるのです。

例えば、課長まではとんとん拍子で進んだものの今大きな壁にぶち当たっていると感じる人は、一つに自分が「小知」から「大受」への脱皮の時期にあると捉えるべきです。『論語』の「衛霊公第十五の三十四」に、「君子は小知(しょうち)すべからずして、大受(たいじゅ)すべし。小人は大受すべからずして、小知すべし」とあります。孔子は、「君子は小さい仕事には向かないが、大きい仕事は任せることが出来る。小人は大きな仕事には向かないが、小さな仕事は任せることが出来る」と言うわけです。此の「大きな仕事」と「小さな仕事」は、全く性質が異なるものです。

小さな仕事が出来るからと言って大きな仕事が出来るとは限らず、大きな仕事が出来るからと言って小さな仕事が出来るとは限りません。小さな仕事で業績をあげることで評価をされてきた人は、「小さな仕事」から「大きな仕事」への転換が中々できないものです。但し誤解しないで欲しいのですが、此の小さな仕事とは詰まらぬ仕事・意味のない仕事ということではありません。そもそも事業の多くは、小さな仕事の積み重ねから成り立っているのです。

しかし管理職になってから求められるのは、逆に小さな仕事はしないことです。それは部下の仕事であり、自分の仕事ではないからです。小さな仕事に時間を取られていたならば、大きく広く物事を見ることが出来なくなってしまいます。同様に部課長の時と取締役になってからとでは、組織の中で求められる役割が大きく変わってきます。取締役になったものの部課長時代と全く変わりなし、という人も結構いるように思われます。変わったことは、大言を吐き散らし威張り腐って歩いているということだけでしょうか。

取締役になって2~3年経てば、取締役として値打ちが分かってきます。取締役になっただけでは、真にその値打ち有する人物かどうかは疑問です。先に指摘した通り取締役になれたかどうかより、その取締役になった人物が会社の重要な意思決定や戦略策定、あるいは会社の方向性を決めるような事柄に対して、積極的かつ主体的に取締役として関わり、自分が主張したことにコミットメントすることが出来る人物か否かが重要なのです。

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