「集団的自衛権の行使を容認した政府解釈の変更」再考

2016年04月22日 23:50

参院選挙を前にして、相変わらず、党内にも、世間にも、憲法学者の間にも、集団的自衛権の限定的行使を容認した一昨年の閣議決定や昨年9月成立し今年3月施行された安保関連法制に対し、戦争法だ、憲法違反だ、立憲主義の蹂躙だ、という声が鳴り止みません。

そこで、大学時代に憲法学を専門的に学んだ立場から、改めて、政府が閣議決定して修正した憲法解釈について私自身の考え方を整理しておきたいと思います。(法的な概念の正確性を期する余り、多少くどい文章になっていることをご容赦ください。)

まず、多くの憲法学者や国際法学者も指摘しているように、集団的自衛権の本質は「他衛」です。じっさい、過去の集団的自衛権の行使事例を振り返っても、自国の存立が直接脅かされるというよりも、密接な関係を持つ同盟国などに向けられた武力攻撃に対しその国を守る、あるいはその国に加勢すること(すなわち、他衛)を通じて自国の安全や生存を図ろうとするケースが殆どでした。

したがって、従来の政府の定義(最終的に昭和56年に確立)も「他衛」としての集団的自衛権でした。 たとえば、「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国 に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている」(昭和56年5月29日の政府答弁書) が、典型的な政府による集団的自衛権の定義です。

この定義からは、想定されている武力攻撃が我が国に対し直接向けられたものでないことは明らかですが、その攻撃により我が国の国民の生命、自由、幸福追求の権利がどのような影響を受けるかについては定かではありません。つまり、自衛権の行使とはいうものの、能動的に(自国と密接な関係にある)外国まで出かけて行って、そこへ加えられている攻撃を実力で阻止するような態様を想定しており、受動的な自衛というより「他衛」というべき概念です。集団的自衛権をそのような概念で捉えて、そのような自衛権の行使は我が国の憲法上認められるものではないと結論付けたのです。

すなわち、「昭和47年見解」以来40年以上も踏襲してきたそのような集団的自衛権の定義を前提として、憲法13 条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・国政の上 で、最大の尊重を必要とする」との規定に根拠づけられた自衛権の行使を合憲と解してきた政府が、前述のようにわざわざ攻撃を受けた国にまで出かけて(あるいは攻撃国にまで迫って)行ってその攻撃を阻止する「他衛」を正当化できないことは火を見るよりも明らかです。

ところが、今回、国際情勢の変化や軍事技術の進歩に鑑み「自衛」の視点(我が国に対する脅威の近接性、切迫性、および武力攻撃波及の蓋然性等)から改めて集団的自衛権の概念(定義)を見直してみたところ、たとえば(集団的自衛権の行使そのものには否定的な)木村草太首都大学東京准教授がかろうじて憲法上許容し得るとした 「集団的自衛権と個別的自衛権が重なる部分」(つまり、外形的には我が国に対する直接の武力攻撃が発生していないにも拘らず反撃するという意味で「他衛」といわざるを得ないものの、当該武力攻撃が我が国の国民の生命、自由、幸福追求の権利への侵害に対し切迫性があり近接性があり、しかも侵害が直接我が国に及ぶ蓋然性が高いと判断されることから、それへの反撃が「自衛」と解される十分な根拠がある場合)などについて、武力行使の新三要件に基づく限りで(これまで集団的自衛権とされてきた行為の一部を)合憲と判断し得るのではないかという結論に至り、閣議決定を通じて政府解釈をアップデート(修正)した、ということだと思うのです。

したがって、私は、一昨年7月の閣議決定をもって昭和47年見解の基本的論理を維持しているとの政府の説明も十分成り立つのではないかと考えるのです。

すなわち、「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置」としてならば、そのような自衛の措置は、たとえ我が国に直接武力攻撃が加えられない(つまり、当該武力攻撃に対する反撃行為は個別的自衛権では説明し切れない)ような場合であったとしても、憲法上「容認されるものである」とされたのです。

換言すれば、この47年見解で否定された「いわゆる集団的自衛権」とは、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする」従来の定義である「他衛」のことを指すのであって、それはすなわち、我が国に対する脅威の切迫性や近接性も、武力攻撃が我が国へ直接波及する蓋然性も存在しないにも拘らず、我が国が反撃を加えることができる権利と解されるのです。

もちろん、だとしても、安保法制の立法過程において、立法事実を十分に説明し切れなかったり、国際情勢変化や軍事技術の進歩などについて説得力ある説明ができず、国民多数が未だ十分に理解していない段階で、数の力で 押し切った政府の責任は重いと考えます。その意味での反発や批判は正当なものといえます。

ただし、それを以って「戦争法」だとか、「集団的自衛権は違憲」だとか、「立憲主義を蹂躙するもの」などと批判するのは感情論以外の何物でもなく、いかに憲法学の大家や立派な政治家や気鋭の学生さんたちが論陣を張ろうとも、それらは学問的にも政策的にも誠実な議論とは言えないのではないかと感じています。


編集部より;この記事は、衆議院議員の長島昭久氏(民進党、元防衛副大臣)のオフィシャルブログ 2016年4月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は長島昭久 WeBLOG『翔ぶが如く』をご覧ください。

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長島 昭久
元防衛副大臣、希望の党東京第21区支部長

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