東京大学が関東ローカル化しても日本は困らない

中央集権の象徴としての東京大学

拙稿「東京大学は通信教育制にしないと破綻する」で述べた通り、東京大学が急速に関東ローカル校化しています。でも、日本の国益を考えると、それはあながち悪いことではありません。(もちろん卒業生としては、忸怩たる思いはありますが。)

日本全国に一定数優秀な人がいて、関東地方の占有率が減っているということは、確実に地方に優秀な人材が分散化しているということです。グローバル経済の終焉によるシェア経済・IoT化によって、これからの日本は、今までと違い、むしろ東京一極集中をやめ、人も金も地方に分散化した方が効率がよくなります。

なぜ、今までマントラの呪文のように政治家やマスコミによって地方分権が声高に叫ばれても、ちっとも進まなかったかというと、それは、そちらのほうが日本株式会社としては効率が良かったからです。

1868年の明治維新から大正・昭和そして平成グローバル経済の2016年までの150年間、日本をひとつの経済主体として見たときに、中央集権的なほうが金儲けに都合が良かったのです。非常に単純に言えば、バブル崩壊までの130年間(1868-1998)は、キャッチアップ型の開発独裁モデルで、そこでは資源を集中管理・傾斜配分した方が都合が良かった。東京に官僚組織と大企業の中枢機能を置いて、京浜工業地帯に工場を置き、団地を作って、地方から集団就職で団塊の世代を住まわせて働かせるというモデルです。

その後のグローバル経済(1998-2016)では、生産拠点は世界中に置き、東京を世界のゲートウエイ一となる営業拠点として経済を廻すというモデルです。日本が世界と競争するときに、東京に資源を集中して他国と戦わせたほうが効率が良かったのです。いわゆる都市間競争ですね。人材養成機関としての東大や早稲田や慶應も東京にあった方がよかったのです。

ところがシェア経済という新しいパラダイムでは、過度な資源の一極集中は逆効果となり、分散した方が効率よくなります。(拙稿「グローバル経済の終焉とシェア経済の行方」)。

江戸時代への回帰

ある意味江戸時代に戻る訳ですね。となると、優秀な人材は地方で育み、活躍させた方がいい。東京で政府官僚や大企業の本社社員で牛後となって飼い殺されるより、県庁や地方ベンチャーや大企業地方拠点の幹部になったほうが国全体の効用が高まるのです。

江戸時代に優秀な人材が江戸幕府にのみ集中していなかったからこそ、薩長を中心にイノベーションが起きた訳です。大久保利通や西郷隆盛、高杉晋作が江戸に住んでいたら、幕府官僚政治の中で干されていたのではないでしょうか。松下村塾も江戸にあったら潰されていたでしょう。分散型政治・経済・社会体制こそが明治維新とその後の大躍進の原動力となったわけですね。

とすれば、これからの時代、東大が優秀な人材を東京に囲い込んで、卒業後も東京で活躍させるよう仕向けることは日本株式会社にとっては正しくないのではないかと思うのです。だから答えは2つしかなくて、1つは東大や慶應や早稲田などのナショナルブランド大学が地方に出て行くか、あるいはそれ以外の優秀人材拠点を地方に作る(順当にいって地方国立大学。大規模な改革は必要ですが)かです。

今の問題点は、地方指向の強い優秀層が医学部を目指すことです。勿論医者も立派な職業ですが、皆が皆、医者になることはないですよね。だから地方でも医者に匹敵するような名誉・地位・収入のあるポストを作る必要があります。もちろん、ポストというのは全体の生態系=エコシステムで生まれるので、ポストだけを作っても仕方が無いのですが。

アメリカ発のIoT革命

で、そのエコシステムの具体像です。田舎の風情をぶち壊して、画一化したと悪評の高いロードサイド・イオンモールカルチャーですが、これは今や東京より時代の先を行きます。

今、テスラだけでなく、BMWやGM、フォードといった欧米自動車メーカー勢はApple, Google,UberといったIT企業と組んで、自動運転・電気自動車・シェアリング・分散型電力システムの4点セットで、IoT革命を企んでいます。日本でこれにフィットするのは、人口が密集しすぎている都区部よりは、地方・郊外です。マイルドヤンキーが作ったエコシステムに、優秀層を注入するのです。

国土交通省が主導して、コンパクトシテイという怪しい箱もの無駄金予算が企てられていますが、この「地方活性化」において、もう土木工事は必要ないし、そんな余裕もありません。現状のイオンモールと舗装道路のインフラで十分なんです。そこに、自動運転無人BRTが走り回ったり、家の前から病院に無人タクシーで連れて行ってくれたり、ドローンでお買い物してきてくれたり、という世界がそこまでやってきていて、買い物難民という言葉が死語になります。一時地方消滅なんていうセンセーショナルな本が話題になりましたが、限界集落のある程度の集約はあっても、地方は絶対に消滅しません。ステレオタイプの中央集権的な思想から抜け出せないので、そういう発想になります。

これからは、地方の時代です。リアルに。

新しいエコシステムのイメージ

電力も全国の大規模発電所と分散した発電所がいい感じで融合したいわゆるマイクログリッド化が進みます。例えば、住民は、家から電気自動車に乗ってイオンモールに集まり、そこにある大きな太陽光発電所や電池から駐車場に留めた自動車に充電し、日中の暑い時間帯にモールで涼み、買い物したり、映画を見たり、カルチャースクールに通ったり、ジムに行ったりする。コミュニテイの復活です。そして、国全体でみたらとっても省エネですし、CO2削減目標も軽々達成します。

サラリーマンや役人はモールに隣接する職場で働く。子供はモールに隣接する学校・保育所に、お年寄りはデイサービスに行く。日本死ねなんていうことにはなりませんのでご安心ください。都会のお金のない独居老人は地方に移住して新しいエコシステムに組み入れてもらうのが社会福祉の質とコストのバランスからみても一番ハッピーなシナリオです。(拙稿「スマート・ヘリコプターマネーが日本を救う」)

夜は、日中にスマホで買い物した品物と電気が自動的に充填された車で家に帰る。イオンの隣の一等地に、そうしたエコシステムを統括管理する民営化した行政会社があって、そこそこお給料のいい優秀な日本人・外国人がいいアプリを作成管理しているという未来ですね。もちろん、東京や世界とはインターネットのバーチャルリアリテイを通じて繋がっています。ちなみにイオンモールが全住民をカバーするのは無理なので、コンビニがサテライト拠点として機能するでしょう。物流拠点と旅客拠点もイオンモールに収斂されていき、日本郵政やヤマト、佐川のシステムも統合されていく。

それで、民間の大企業も地方分散化した方がいいと思う訳です。本社機能は東京に残るのでしょうが、労務管理や経理などはAI化するのだから、クラウド化が進んだ今機械やサーバーの設置コストの安い地方の方がいいだろうし、研究開発拠点も地方に置いていたほうが、土地の優秀な人材が集まるし、あと優秀な外国人=グローバル人材も東京より、別府とかニセコにオフィスを置いた方が、集めやすいと思うのですがいかがでしょうか。辞令一つで全国に転勤や単身赴任なんて非人道的なことはできなくなります。もう、それに見合う処遇はできないのですから。

AI化によって労働生産性が飛躍的に高まり、労働者はフルタイムで働く必要がなくなります。兼業農家ならぬ兼業サラリーマン。副業はもちろん自由。午前中は漁や釣りやサーフィンに出て午後仕事とか、午前中農作業やスキーで午後仕事とか。集中こそが効率化の基にあった、日本的雇用慣行もいい感じで壊れていきますね。そのほうがいい人材が採れるようになります。

そうすると、それでも文化施設や歓楽街が集積した都会が好きな人は東京に住めばいいし、自然生活を選好する人は田舎に住めばよくなるわけですね。職業選択、居住移転の自由。ただ、東京に住むことの比較優位は経済的にも社会的にも政治的にも確実に下がります。要は政治が個人に良いインセンティブを与えることです。究極のワーク&ライフバランスの実現です。

こうした地方の政治・経済・社会を廻すのに、マイルドヤンキーだけでは不十分ですから、東京大学○○イオンモール分校を卒業した学生がイオンモールで指揮をとればいいわけです。これが、第四次産業革命の具体的なイメージです。

Nick Sakai  ブログ ツイッター