「真田丸」が歴史に忠実なわけでもないが、登場人物の人間描写はなかなか鋭くて面白い。とくに豊臣家の人々は秀逸だ。
ドラマにもあるように秀吉は家族を大事にした。庶民出だから、貴人にありがちな冷たさがない現代的なファミリーなのだ。しかし、秀次事件という悲劇はなぜ起きた。私は大政所が死んで寧々が豊臣家を掌握できなくなったからだと思う。
かつては、石田三成が企んだという人が多かったが、秀次周辺と三成が対立していたわけでもない。
しかし、淀殿にとっては、秀吉が状況を整理せずに死んだら、自分も秀頼も命すら危なくなる。秀次を排除するか確かな安全装置をかけておきたいところだ。
だが、不思議なのは、北政所の動きがまったく見えないことだ。むしろ、寧々の秘書である孝蔵主が秀次をだまして誘い出し高野山に送った。
ここで見落としてはならないことがある。それは、秀次が関白になった翌年、秀頼誕生の前年に大政所が死去していることだ。それに先だって秀吉の異父妹で德川家康夫人の旭と異父弟の秀長が相次いで死去しており秀次の母である同父姉ともだけが残っていた。
ともは、夫とともに秀次の領国である清洲にあった。秀吉の家族と秀次など姉一家は、姑がおればコミュニケーションは取れていたが、それが死に、旭と秀長もいないとなれば、意思疎通が悪くなるのも当然だ。
こうしてゴッドマザーの死とともにファミリーの結束は解体し、嫁である寧々も手の打ちようがなくなったと見るべきだ。
秀次は自分から秀頼を養子に欲しいとか、娘と結婚させたいとか、自分からいうべきだった。織田家の血まで引くのだから勝負になるはずがないのである。
前田利家など織田旧臣たちは織田家の没落に寝覚めが悪かったから、秀次より秀頼をこぞって支持した。ところが、秀次派もできつつあり、「時間稼ぎをすれば太閤も亡くなられるかも」と強気をあおり立て悪あがきしたので、秀吉も怒って当たり前だ。
いずれにせよ、秀次の母は秀吉に直訴することもできず、夫の吉房は讃岐に流された。もっとも、秀次の弟・秀勝と再婚し、のちに徳川秀忠の夫人になった「江」の娘である完子は九条忠栄と結婚して子をなし、大坂夏の陣の10年後まで生きたともは、孫たちが関白などになるのを見届け、その血統は今上陛下にまで及んでいるのだから、このなかという女性はDNA戦争の勝利者ともいえる。