賭博・風俗・麻薬は合法化すべきである --- 小宮 自由

寄稿

需要が多いものを違法化するとブラックマーケット化する

日本では賭博も風俗も麻薬も違法である。しかし前者2つは建前に過ぎないことを誰でも知っている。賭博に関しては競輪・競馬・ボートレース・パチンコ・麻雀・賭けゴルフその他、風俗に関してはソープランド・ヘルス・ストリップ・イメクラ・ハプニングバーその他のように、数が多すぎてとても「例外的に許している」とは言えない。このように明確な需要がある産業を違法化すると、まともな企業が参入できなくなり、暴力団やマフィアの資金源となる。禁酒法がそれをよく表す前例である。実際、(国が管理するもの以外の)賭博や風俗産業は暴力団の重要な資金源となっている。そしてこれらの産業に従事するもの(例えば風俗嬢)が危険にさらされる。これらの弊害を防ぐ簡単な方法がある。合法化して国が管理することだ。

欧州では合法化の流れが進んでいる

欧州では合法化の流れが進んでいる。オランダの飾り窓は既に名物化しており、アムステルダムの中心街(女性や子どもも歩いている場所。流石に見えにくくはしているが)で女性が堂々と売春している。この飾り窓は国が管理しており、売春婦は事前に登録して、許可を得た上で場所を借りて「仕事」をする。定期的な性病検査が義務付けられており、これは女性と顧客の双方を守るための措置である。オランダでは売春婦が「仕事」として認められている。性交同意年齢は16歳で、売春も16歳から行うことが可能だ。ドイツでも風俗は合法で、政府はセックス税を徴収している。ヨーロッパの他の国々でも合法化・非犯罪化の流れが進んでいる。欧州ではないが、オーストラリアには株式上場を果たした売春宿もある。

この流れの根底にある思想は、風俗産業従事者の保護である。アムネスティ・インターナショナルは風俗産業の非犯罪化を人権擁護決議で採択した(合法化でないのは、統治機構が不安定で合法化しても適切に管理する管理能力がない地域も存在するから)。「体を売らなければ生きていけない人の人権保護」という観点である。この採択に関して、貞操観念が強い国(イスラム教徒が多い国家やアメリカなど)からは批判も多い。しかしその主な理由は「売春行為は汚れている」「女性を搾取して金銭を稼ぐことを国が許容することになる」等のような論点がずれているものが多く、人権に対する考え方というよりは倫理観の違いが見て取れる。

風俗がこのように難しい問題を孕んでいる一方、賭博や麻薬が許されている理由はシンプルである。それをやりたい人がいるからである。先述したオランダでは、賭博や麻薬も合法だ。ただし無制限ではなく、生活破綻者を出さないような一定の制限はある。それでもギャンブル中毒や麻薬中毒者は出てくるので、その数をいかに減らすかが重要となる。

合法化した方が経済的であり、かつ安全である

そもそも日本には伝統的に性のタブーがなく、性的なものが罪になり始めたのは明治以降欧米の影響を受けてからである。歴史を勉強しなくても、アダルトビデオや成人向け漫画を見ればタブーがないことなどすぐにわかる。米国はまだ規制が強いが、欧州はどんどん規制が緩くなっているので、「欧米に合わせる=性の規制を厳しくする」という図式は成り立たなくなっている。そして先述のように実際は日本には多くの性産業が存在し、法を現状に合わせるのであれば合法化する方が自然である。管理の仕方は合法化して既に成果をあげている国家から学べば良い。

賭博も風俗と同じく、実際は公然と行われている。実は麻薬もそうである。アルコールやタバコは麻薬の一種であり、タバコは大麻より有害だ。今の法規制は偏っており、科学的根拠に欠けている。麻薬は既にまかり通っているのだから、「麻薬を禁止すべきか否か」でなく「どの麻薬を許可すべきか」を科学的根拠を元に再検討すべきである。

もっとも、賭博や麻薬は歯止めなくやってしまう人も存在するので、一定の規制は必要である。例えば、賭けや麻薬の購入をする際にマイナンバーカードの提出を必須にし、回数や購入額を電子的に記録しておき、それが所定の回数制限や購入額制限を超えていないかチェックする。超えていた場合は、一定期間経過するまでは購入できなくするようにすれば、際限なく賭博や麻薬をやってしまうことがなくなる。

賭博・風俗・麻薬に関しては、従来はリスク管理にコストがかかったので「禁止するか許可するか」の極端な二元論になることが多く、どちらに転んでも例外が膨大に増えてルールが煩雑化することが多かった。しかし現在はテクノロジーの力によって現実的なコストで高レベルな管理ができるようになった。欧州の動向により倫理的な障壁もなくなりつつある。合法化すれば安全になり、税金も取れて一石二鳥である。ストレスが溜まりやすいこの時代、こういった「おおらかさ」があってもいいのではないだろうか。

株式会社アットメディア 研究員
小宮 自由(こみや・じゆう)

※おことわり;本記事の内容は筆者個人の見解であり、当編集部のそれを示したものではありません。科学的根拠、諸外国の事例等エビデンスベーストに基づく政策的議論が建設的に行われるべきと考えます。