「私は日本人だ。撃たないで」はなぜ無意味なのか

2016年07月04日 09:53

キャプチャ

ダッカのテロ事件が「安倍首相のせいだ」という話がネット上で出回っている。代表的なのが、上のような元外交官のツイートだ。「アベよ、戦いに参加するというおまえの無謀な決断でこのナイフはケンジを殺すだけでなく、おまえの国民を場所を問わずに殺戮する」というのは去年の人質事件のときのアラブ人の言葉であって、今回の事件とは無関係だ。

今回の犯人はベンガル人なのだから、アラブ人の言葉を知っているはずがない。池内恵氏もいうように、問題は日本人かどうかではなく、イスラム教徒かどうかなのだ。それは彼らが人質にコーランの一節を暗唱させ、できなければ殺したと伝えられることからも明らかだ。

孫崎氏のような「日本人は平和主義だから安全だ」という類の神話は、日本の左翼に広く行き渡っている。去年の人質事件のときも”I am not ABE”というプラカードを掲げれば殺されない、と主張した元官僚がいた。

こうした人々の脳内では、憲法第9条が念仏のようなありがたいものになっているのだろう。「南無阿弥陀仏」のように「日本は戦争をしません」と繰り返しているだけで敵は攻撃してこないという信仰は、宗教としてはわかるが、現実は今回の事件の示す通りだ。

これはイスラムだけの問題ではない。孫崎氏は「東アジア共同体」なる幻想を抱いているが、最近、中国の戦闘機の領空侵犯が急に増えた。これも日本が有事にどう対応するかをみているのだろう。

それに対して「日本には憲法第9条がある。撃たないで」といっても、何の意味もない。無防備でいると、ますます彼らは領空深く入ってくる。世界の人々が互いに理解することはきわめて困難だ。それを理解することが、日本人が身を守る第一歩である。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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