「政策を問う」のでは不十分な日本の絶望〜参議院選挙を迎えて

西村 健

参議員選挙が行われる。

客観的に見て盛り上がっていないし、18歳が選挙できる以外は話題に上ることも少なく、まだ行われていない東京都知事選に話題がさらわれている感がある。

大事なことが議論されていない。
そして、大事なことは2013年の自民党の公約を検証する議論がほとんど見られなかった。

個人的な感想を言わせていただくと、これが日本の文化なのかもしれないと絶望感を感じるというのが正直なところだ。日本が抱える問題を深く喧々諤々議論し、妥協できる点を見つけだし、相手へのリスペクトに基づいた大人の対話をする場面を見ることがない。

そうやって対立を回避することを我々は(無意識的に)選択しているのだろうか。権力側、与党議員を応援する組織に属する国民にとってはなんとも都合の良い状況だろう。

党首討論をネットやテレビで見たが、かみあわない議論の数々、具体的でない主張が飛び交い、質問へのはぐらかし・論点のすり替え、自説の大げさな主張・・・。

それぞれが指標や数字をあげる場面も見られた。しかし、比較先は適切か、その数字の意味は何なのか、視聴者には知識が提示されないし、判断できないものが多い。

一方、その討論会を支える方には、政策に関係のない政党や政界でのスタンスなど「政治談義」を質問するメディアの重鎮の姿もあったし、場には関係ない「人柄」についての相手へのリスペクトが感じられない質問をする若手論客の姿もあった。

・政策を多面的に評価・検証し、紳士淑女のスタンスで議論をすることのできない政治家
・権力をチェックする機能を見失い、論点すら作りだせない大手メディア
・理解できない状況に、考えることすらおっくうになった我々国民

悲しいかなこれが日本の現実だ(政府からの巧みなメディア・コントロールに対処すること、利害関係者に遠慮せざるをえないことを考えるとメディアには少し厳しい意見になったのかもしれないのでそこはお許しいただきたい)。

なので、今回の選挙で自分なりの論点を考えてみたい。
名付けて、今考えるべき7つの争点。

(1)中国
中国の外交スタンス・軍事的行為をどう考えるか?南沙諸島での中国の振る舞い、日本に対するあからさまな批判に対してどう考えるのか?在日中国人の増大をどう考えるか?

(2)武器輸出
武器輸出が解禁されたわけだが、日本製武器の法外なコストの低減という目的はわかるが一部産業への優遇ではないか?国民はそもそも知っていて、感情として納得してもらえているのか?これまでの日本国の「平和ブランド」を棄損しないか?

(3)グローバル企業
パナマ文章で明らかになったグローバル企業への対応をどう考えるのか?法人税の減税も良いが、本来取得できたはずの税額が確保できなかったとの意見もある中、合法でタックスヘイブンを使う企業を今後どう規制するのか?名前が上がった企業の政府からの支援状況はどういったものがあったのか?CSR報告書の記載との論理的な整合性はとれているのか?

(4)子育て問題
「保育園落ちた日本・・」というネットでの書き込みが話題になったものの、現場では保育所の設置が困難になっている。杉並区をはじめ多くの自治体で問題が顕在化しつつある。保育園建設に反対する住民との合意をどう取っていくのか?このようなジレンマをどう解消するのか?

(5)アベノミクスの評価
アベノミクスの成果は(実感がされないものの)成功されているとされている。出ている成果はそもそもアベノミクスの影響なのか?、そして、どの業界にどれくらい成果があるのか?そしてその成果は社員に分配されているのか?、そしてそもそも政策による効果はどれくらいと見積もっているのか?

(6)貧困
企業収益が好調な一方、平成26年の国民生活基礎調査において、世帯での生活意識をみると、「苦しい」(「大変苦しい」と「やや苦しい」)が 62.4%と平成16年の55.8%から増大している。この現状をどう考えるのか?これだけ地域共同体が崩壊しているなか、貧困を解決できる、苦しさを緩和できる政策をどう企画していくのか?

(7)地方創生
東京への過度な集中は変わらないどころか加速している。東京への一極集中に対する処方箋をどう考えているのか?首都機能移転や分散は考えられないのか?東京都民の出生率の低さをどう考えるか?大手ディベロッパーが推進する東京の開発をこれ以上どこまで認めるのか?

これらの問題に対して、どう考えるのか。

以上の論点に答えはない、正解がない。

各党の公約を見ると、各党が「すること」が並んでいて、どれもそれなりの政策を提案していると(正直)思う。しかし、大事なのは、政策ではなく、政策についての見解・根拠だ。これだけ複雑な社会で、複雑な要因が絡み合う中、争点は希薄化せざるを得ない中、政策の中身を問うだけでは不十分である。

だからこそ、今求められるのは「政策を問う」と同時に、政策の背景にある価値観・信条を問う、政策の根拠となる見解・優先順位を問う、政策が実行できる能力を問う、政策を主導する人物の資格を問う、政策を語る人物の信頼できるか度合いを問うことが必要になるだろう。メディアがその役割を果たせなければ我々自身で考えていかなければならない。

選挙とは、国民が主権者として、そして、日本社会の構成員としての自覚をする機会、(普段感じることがない)「日本国」という共同体感覚を改めて認識する機会である。

自分がどれだけ行政の取り組みによって支えられているのか(過度に優遇されているのか、見捨てられているのか、どちらでもないのか)、どう社会の中で生きていくべきなのか、皆が少しは考えるきっかけになれれば。