安心して、あなたの1票は蝶よりも軽い

2016年07月10日 06:00

いよいよ今週末日曜が、参議院選挙の投票日です。

ぼくも投票される側の人間であり、また、無所属で政党のしばりもないので、はじめて投票するあなたのために、今日は本音で話します。

先日、名古屋のイベントで、豊橋出身の学生に会いました。住民票は今も豊橋です。

- おおー、豊橋出身なの?(名刺渡しながら)

「長坂なおと・・さん? 内閣官房・・・」

- あ、それは肩書だけで、今は市議会議員やってます。 投票行ってねー

「あ、はい。 その前にちゃんと勉強してから・・・

てっきり、18,19かと思ったら二十歳超えで、昨年も有権者でした。 市議選挙に行ったか聞いたら、苦笑いしていました。

ぼくはだれかれ関係なく、口癖のように「投票いってねー」と言っていますが、この学生に限らず、「ちゃんと勉強してから」と返事をいただくことが多い。 みなさん真面目です。 でも、

勉強しなくていいから

勉強して、真剣に考えれば真剣に考えるほど、わけわかんなくなって、結局行かなくなるから。 「合理的な人ほど、選挙に行かない」という話もあります。

合理的な人は選挙に行きません。自分の一票が選挙に与える影響、それが限りなくゼロに近いことを知っているからです。1億人の有権者に対し、自分の一票は1億分の1の効果しかありません。

「近似ゼロ効果」、つまり限りなく効果がゼロなことに対して、わざわざ行動を起こすことは時間と労力のムダです。したがって、合理的な観点からは、選挙に行かないことが正しい選択なのです。

 – 合理的な人が選挙に行かないこれだけの理由 選挙にはもっと市場原理を働かせるべきだ | 政策 – 東洋経済オンライン
http://toyokeizai.net/articles/-/124893

ちなみにこれは、個人としては合理的な行動ですが、社会全体としては非合理的です。

勉強しなくていいから、そのまま投票に行って 

考えれば考えるだけ分からなくなるので、投票行くのが億劫になります。 まず投票所に行く。 それから考えてください。 1週間調べた1票も、1日考えた1票も、1秒で決めた1票も、全く同じ価値しかありません。 それが選挙。

ぼくはこれまで投票皆勤です。

義務と思ったことも、権利と思ったこともありません。 あーでも「行きたい」よりは、「行かなきゃ」と思って行くから、どちらかと言えば義務的に思ってるかも。

東京いたとき、区議会議員選挙とか、全然興味ありません。 選挙あることも、お知らせが届くまで知らないくらい。 「だって、ぼく来年にはここにいないし」 的な。

それでも、投票には行きました。

一番はじめは、とりあえず投票所に行って、ポスターで選びました。 ポスターで番号覚えて行ったら、投票台で書かれていた順番とポスターの順番が違って、名前を思い出せずに困りました。

2回めは、年齢が若い人から検索して、サイトを見て、一番はじめにイヤじゃなかった人、に入れました。 サイトがない人は論外です。

3回めは・・・忘れました。

ぼくの1票なんて、あってもなくても同じ、そう思ってました。 でも不思議なもので、直前にポスターで選んだ人でも、自分が投票すると結果が気になるのです。 通ったら嬉しいし、落ちたら「外れた」と。

国会議員を決める選挙だと、その夜に選挙特番があるから、おもしろくて仕方がない。 あんなエンターテインメントは他にない。

ぼくだけがそう思ってるんじゃない、あのテレビ東京ですら、選挙の日には選挙特番。 なぜか、視聴率が取れるから、みんなが見るから。 投票率が低い低いといっても、まだ投票率50%、国民の2人に1人は投票に行く。 紅白の視聴率よりも高い。 それだけの人が見るから、全局が選挙特番をやる。

選挙特番を見ながら飲む酒は、また格別にうまい。 あの楽しさを知らないのは、マイノリティー。

若年の投票率が低いのは今に始まったことではない。 戦後一貫して、20代の投票率は、60代よりも低い。 今の60歳だって20歳のときは、当時の60歳より投票率が低かった。 これはつまり、投票のリピート率が非常に高いことを意味してる。 

つまり、投票は中毒性が高い。 一度行ったらやめられない。

もし20代の投票率が高くて、60代の投票率が低いのならば、投票はリピート率が低く、一度行ったらもう行きたくないもの、つまらないもの、苦行と考えられる。 でもそうじゃない、ということは・・・

「大人になったから選挙に行こう」「あなたの一票が社会を変える」 ぼくはそんな嘘くさいこと言わない。 「投票したら、夜の選挙特番見て、おもしろいから。 そして酒がうまくなるから」 

政治に関心がないから投票に行かないわけじゃない。 逆、投票に行かないから興味が湧かない。

興味なくても行ったことない人は、一度行ってみた方がいい。 やみつきになる理由がわかるから。

ぼくが許せないのは、選挙権の年齢を引き下げるときに議論になった、「18歳には、まだ判断能力がない」

何言ってるの? じゃあそう言うあなたは「間違いない投票」ができる判断能力あるの??

そんなんいまや「プロ」になった、ぼくにだってない。 ぼくだって毎回迷いながら投票している。 まちがった投票をしてるかもしれないし、実際に政権交代したとき、ぼくも当時、民主党に入れたけど、まさかそれで当時の仕事が「仕分け」られ、会社がやばくなる遠因となったこともある。 ぼくにだって判断能力があるかはあやしい。

でも選挙権というのは判断能力の有無で決められるものではない。 認知症などで、成年後見人が必要なほどに判断能力が衰えた人だって、選挙権は剥奪されない。

そして、申し訳ないけど、今の若い人の方が、よっぽど色んなことを考えている。 だから、投票するのに、「勉強してから」、なんて言っちゃう。

ぼくは18歳どころか、15歳まで選挙権を引き下げてもよいと思ってます。

仕事柄、「長坂さんに入れました」 と言われることが度々ある。

そのとき僕は、もう本当に土下座する勢い。 そのくらい、ぼくにとって1票は重い。 但しそれは、僕に投じてくださった1票限定。 僕でない誰かに投じた1票であれば、別にそれが誰であろうが興味ないほどに軽い。

ぼくらにとって重要なのは、「誰に」投じたかではない。 「誰が」投じたか。

ぼくはぼくに投じてくれた人のことをいつも考えながら動いている。 といっても、具体的に誰かはほとんどわからないから、どんな人かを想定しながら。 少なくとも僕に投じてくれた人は、豊橋に「変化」を望んでいる人だから、例え仮に、豊橋全体では「現状維持」が多数派であり、「変化」派が少数であったとしても、ぼくはぼくに投じてくれた「変化」派の期待に応えるために、活動する。

一方、当時の選挙活動を通じてわかったことは、意外なことに、お年寄りからの反応が非常によかったこと。 あのおじいちゃんやおばあちゃんがぼくに投じてくれたかどうかの確証はもちろんないけど、そのことも常に頭の片隅にある。

悲しいかな、ぼくらはそういう生き物です。

そうは言ってもなんだかんだ、きっとぼくに投じてくれたのは、年が近い人がきっと多い。 だから同年代のためにぼくはがんばる。 けれども、ぼくも年を取る。同年代も年を取る。 そしたらきっと、今は30代を見ていても、いずれ、50代、60代、70代を見るようになる。

ぼくはそれでいいと思っている。 そのときは、そのときの20代、30代ががんばればいいと思うし、逆に今、60代に「若者が」とか言われても、僕は全然ピンと来ない。 だからきっと、僕が60代になったとき同じことを言っても、今赤ちゃんの未来の20代、30代に相手にされない。

重要なのは、「誰に」投じたかでなく、「誰が」投じたか。

だから、鉛筆転がしても、ポスターで選んでもいいから、まずは投票に。 だいじょうぶ、あなたが誰に投票したかは、絶対にバレないし、あなたの1票で社会が変わるほど、あなたの1票は重くない。

そして、選挙特番見ながら、酒飲もう。

そしてもし、あなたが自分の1票の価値を最大限に高めないのならば、「誰に」投票したかは近似ゼロで関係ない。 それよりも、選挙で選ばれる人に出会ったら、「私、あなたに入れました」って伝えること。 その方がよっぽど効果ある。

ぼくも真面目なので、「勉強する」まじめさも好きだけど、そのくらいのずる賢さも、ぼくはきらいじゃない。

では!


愛知豊橋・長坂なおと のblog より

プロフィール
長坂尚登|1983年愛知県豊橋市生まれ。
地元の時習館高校卒業後、東京大進学、コンサルティング会社で働き、10年間東京で過ごす。2012年にUターンし、商店街マネージャーとして、豊橋のまちなかを奔走。2013年から内閣官房より地域活性化伝道師を拝命。
2015年商店街マネージャーを退職し、豊橋市議に立候補。新人トップ当選で、現職(無所属)フェイスブックページ

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