冷静に原子力事業を語ろう

160726

即時に、全ての原子力発電所の稼働を永久停止にすれば、議論の余地なく、電力会社の債務超過は避け得ない。どうしても、即時に廃止したければ、原子力発電所廃止措置機構とでもいうような政府機関を作って、税金を投入し、簿価によって、電力会社から買い取るほかなかろう。

巨額な税金の使い道として、それはいかがなものかとは、誰しも思うだろう。それならば、原子力発電所を稼働させつつ、計画通りに、耐用年数の切れたものから、廃炉にしていくしかない。

計画通りに廃炉する限り、計画的に減価償却が進み、計画的に廃炉費用が積み立てられていくので、大きな問題を生じないわけで、困るのは、基本前提が覆ることだけだ。

法律上の利害に関する予見可能性がなければ、原子力事業というよりも、経済活動自体がなりたたない。特に金融の場合は、危険の予見可能性と制御可能性がない限り、資金の供給は不可能である。

原子力政策の突然の転換によって、電力会社が突如として債務超過になり、巨額な不良債権が発生することなど、金融界としては、受け入れ難い。

念のためだが、金融機関が自己の権利を強欲に主張しているわけではない。金融機能は社会的に必要なものであり、それが円滑に機能するためには、金融秩序を支える法秩序が確立していて、そのもとでの一定の予見可能性が守られている必要がある、それだけの当たり前のことにすぎない。

例えば、原子力安全規制が突如として劇的に変更になることは、金融的には、大問題である。もちろん、最新の科学技術的知見と経験に基づいて規制を変更することは、当然であり、誰も反対し得ないことなのだが、本来は、いかなる変更も、将来に向かってのみ有効であるはずなのである。

しかし、新規制基準では、最新の基準が過去に遡って適用になる。例えば、新たな基準のもとでは、活断層の上に原子力発電所を設置できない。新たに調査した結果、立地直下に活断層の存在を認定された原子力発電所は、廃炉にするほかない。

旧基準では、まだ稼働し得る原子力発電所も、新規制基準に適合するためには、巨額な改良投資が必要となって、経済的に維持不能となり、廃炉を余儀なくせれることもあろう。

さて、こうした事態に伴う原子力事業者の損失は、どう負担されるべきか。電気料金に反映すべきか、株主等の負担とすべきか。どう負担されるのが、社会正義に照らして、また法秩序に照らして、公正公平なのか。そういうことを、冷静に、考えなくてはならない。冷静に、つまり、感情を排して。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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