名ピアニスト中村紘子さんの思い出

2016年07月30日 06:00

アンコールで8曲もサービス

日本を代表する名ピアニストの中村(本名福田)紘子さんが、ガンとの闘病生活もむなしく亡くなられました。個人的にも親しくさせていただいたことがあり、ピアニストの実像をそばで何度も拝見する機会がありました。私が一時、出向していた出版社が中村さん、夫の芥川賞作家、庄司薫さんの著書を出していましたのが何かの縁となったのです。

2年ほど前でしたか、ガンを治療することになりました。中村さんと親しい代議士にお会いした時、「病状はいかがですか」と尋ねましたら、「抗がん剤を使っていないのです。演奏の時、精神状態というか、音楽を生み出す意識が不安定になるので、抗ガン剤を使わないのです」とおっしゃいました。「芸術家は厳しいなあ。それがガン治療のマイナスになったのかなあ」。亡くなったと聞いて、今そう思ったりします。

演奏会には何度か招待されました。ある晩、第1部、第2部が終わり、最後はアンコールです。拍手が鳴りやむと、アンコールの演奏が始まりました。1曲、終えると、また盛大な拍手です。そしてアンコール2曲目。それが終わると、また拍手。こうして3曲、弾きました。普通は3曲程度なので、帰りかける聴衆もおりました。

アンコールというよりまるで3部

まだ拍手は鳴りやみません。すると、4曲目です。こうして次々に弾いていった曲の数は8曲はありましたでしょうか。聴衆は大喜びです。アンコールでこんなにサービスするピアニストは他にいるのでしょうか。後日、お礼状を書きました。「アンコールというより、まるで第3部でしたね。ありがとうございました」と。

ピアノ協奏曲のように大曲をこなした演奏会では、終了後、ホール近くで数十人程度のパーティーを開くことがよくありました。ある晩、庄司薫さんが「中村仁さん、ちょっと挨拶、お願いしますよ」と、いうのです。2時間も演奏すると、演奏家の精神状態は高揚したままなので、気分を鎮めるクールダウンが必要なのだそうです。スポーツ選手もそうですね。

ピアニストには腕力も必要

私は挨拶で演奏への感謝を述べた後、「中村紘子さんは文筆家でもあり、筆力もあります。当然、音楽する力、楽力があります。さらにマネージャー役も務める庄司さんという方の、夫力もあります」と、申し上げました。すると、紘子さんはマイクを引き取って、「腕力もあります」とおっしゃり、自分の腕を見せ、ポパイのようにポンを叩くのです。茶目っ気がおありなのです。ピアニストは細腕では務まりません。体力の維持にジムにも通っていると聞きました。

別の日の晩、演奏会後、居酒屋に誘われました。曲目はショパンでしたか。「星空にまるで宝石を撒いたかのように、静寂の夜空に光輝くものが浮かびあがりました」と、私なりの感想を申し上げました。「ありがとう」とでもいうのかなと思っていましたら、押し黙ったままです。本人の前で、評論家でもない素人がほめることは失礼になるのですね。

お好きな食べ物の話になりましたら、「牛肉が一番、スタミナがつく。これを食べると、最後まで息切れしない」と、おっしゃいました。へえー、ピアニストと牛肉ねえ。妙な取り合わせだなあ。中村さんの好著に「ピアニストという蛮族がいる」があります。ひょっとして中村さんはご自分を蛮族と思っていたのかもしれません。牛肉を食べてスタミナをつけ、天上の演奏会で腕力を振るっているのでしょう。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2016年7月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。

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中村 仁
ジャーナリスト、元読売新聞記者

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