「毛沢東vsニクソン」を彷彿。「習近平とトランプ」

加藤 隆則

ドナルド・トランプ氏が11日、当選以来初めての記者会見を行い、CNNテレビに対し、「あなたたちあ偽ニュースだ(You’re fake news) 」と反撃した。ロシアでのセックススキャンダルを報じたことへの応酬でもあろうが、トランプ氏の「左翼」メディア批判は今に始まったことではない。昨年11月にはニューヨーク・ポスト紙が、トランプ氏がメディア人を招いた私的なパーティーで「CNNはうそつきを恥ずべきだ」と公言した、とのゴシップを伝えている。

あれだけメディアが一斉にヒラリー支持につけば、さぞ面白くなかっただろう。だが、既得権益層を代弁する米主流メディアの「偏向」が、庶民の心情を反映するSNSとの乖離を生み、トランプ氏に勝利をもたらしたとすれば、メディア批判は巧妙に仕掛けられた戦略ということになる。新聞がテレビによる情報市場の寡占状態にある日本ではなかなか実感できない。だが、共産党主導の官製メディアに飽き飽きし、ネットの言論空間が急速に拡大している中国においては、他人事とは思えない現象だ。

だからトランプ氏のCNN批判は、中国では受けがいい。「アメリカの指導者がとうとう本音を言ってくれた」「トランプは男らしい」とネットの書き込みは続く。CNNをはじめ米国メディアが中国批判を繰り返してきた腹いせもあるのだろう。そのうえ、中国人は強い者に対し本音で立ち向かう人物を率直にたたえる。米国メディアの報道を有り難がって、無批判に追随する日本メディアとは大きく異なる。

米国が抱える所得格差が生む社会の分裂、グローバル化による国益の損失は、中国では都市と農村の格差、欧米ソフトパワーの席巻として、共通の問題に通底する。大国である米中はともに、国内でヘビー級の難題を抱える。だからこそ同じように難局を乗り切る強い指導者の台頭が求められる。

トランプは巨額の対中貿易赤字をやり玉にあげ、「中国にわが国をレイプさせ続けるわけにはいかない」と挑発的な発言をする。ツイッターで、中国の南シナ海での人工島造成や為替操作を批判し、「我々の了承を求めたのか」と気勢を上げるた。米国の庶民は留飲を下げ、中国の人民は習近平国家主席の反攻に期待する。中国の台頭を強力に引っ張る習近平がトランプを生み、トランプが習近平の権威をさらに高める。こうした反射的関係が生まれるほど米中は接近している。

トランプ当選を受け、多くの中国人がまず想像したのは、米国の新たな対中政策ではない。トランプ大統領と習近平主席が国家の利益を背負って向き合い、二大国のリーダーとして世界の課題を語り合う姿だ。米国の大統領と丁々発止の攻防を演じる我が指導者の姿なのだ。これが、見た目は大国でありながら、内実が伴っていない中国のメンツなのである。

トランプ氏は、既成概念を打ち破る派手なパフォーマンスで、社会不満を抱える低所得層の支持を集めた。その姿は、不文律を打破する高位高官の腐敗摘発と親民スタイルの演出で大衆の人気を得ている習近平氏と重なる。両者は、国家利益を前面に打ち出し、エリート層からはじかれた社会大衆の幅広い支持を得ている点で似ている。中国の反体制派による習近平批判に引きずられ、米中の対立や衝突ばかりに目を向ける日本メディアの報道は、国際社会の真実から国民の目をそらしている。

1971年、ニクソンが日本の頭越しに中国と手を結んだショックを忘れてしまったのか。日本人が疑わなかった米国に不信感を抱き、これがきっかけとなって異文化コミュニケーション研究がさかんに進められた。だが研究室の中に閉じこもり、その成果が十分生かされていない。日本の対中認識は年々劣化の一途をたどり、米中接近の実態が見えていない。好き嫌いにとらわれ、真の姿から目をそらしている。米中のホットな接近が、内向き志向によって世界への関心を失速させている日本世論と際立った対照をなすことは、銘記しておいた方がいい。

ニクソンは反共の闘士として名をあげながら、電撃訪中によって20年に及ぶ敵対関係を終結させた。ベトナム戦争やインドへの対応をめぐり、対ソ連包囲網で米中の利害が一致したからだ。国家利益のため融通無碍に重大決断のできる指導者が生んだ歴史的事件だった。毛沢東は北京でのニクソンとの会談後、主治医の李志綏に、

「あの男は本音で話をする。持って回った言い方をしない。本音と建前を使い分ける左派の連中とは訳が違うな」

と話した。米中間にはイデオロギーを度外視したプラグマティックな発想が横たわっている

習近平氏が30年前に引用した故事がある。

孔子の弟子、子路は勇を好んだが、分別のなさを師に諭された。子路は衛の高官に取り立てられたが、戦乱に巻き込まれる。敵に冠の紐を切られたが、気骨を重んじる子路は、たとえ殺されてでも冠を守ろうと、武器を捨てて落ちた紐を拾おうとした。そして命を落とした。

習近平氏は、これを「なんとバカげた考えだ」と一蹴した。「原則上の問題は気骨を守るとしても、原則にかかわらないことには戦術が必要だ」というのだ。これが習近平氏のプラグマティズムである。蛮勇をいさめ、冷静沈着に情勢を観察し、損得の利害を判断することが必要だと説く。国家利益を守るためには、政策選択の幅が十分にあることを知っている。この点、ビジネスマン出身のトランプとは共通のテーブルにつける余地が大いにある。

毛沢東とニクソンが国際世論の裏をかいて演じた離れ業が再演される可能性に、日本の世論はもう少し注意を払った方がいい。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年1月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。