「VX」がソウル上空を覆う時

長谷川 良

韓国民をパニックに貶めようといった魂胆は当方にはない。しかし、朴槿恵大統領の弾劾問題、次期大統領選などの政治イベント、少女像の設置問題で喧騒な日々を送っている韓国民を見ていると、異母兄・金正男氏の暗殺に北朝鮮が神経剤「VX」を使用したという事実が正しく伝わっていないのではないか、といった懸念を抱くのだ。本来ならば、国を挙げてその対策に乗り出す一方、北に対して国民は政府と結束してシリアスな警告を発すべき時だが、反日キャンペーンならば燃え上がる国内の世論は北の毒薬暗殺事件に対しては驚くほど冷静だ。

マレーシアの国際空港での「金正男暗殺事件」(2月13日)の犯行に劇薬といわれる神経剤「VX」が使用されたことが判明した。化学兵器が民間人の殺害に使用されたというわけで国際社会を驚かせた。韓国統一部の鄭俊熙(チョン・ジュンヒ)報道官は27日、VXの使用を「化学兵器禁止条約に反しており、その他の国際関連規範に対する露骨な違反だ」と非難している(韓国・聯合ニュース日本語版)。

北朝鮮は1994年3月、南北間の実務代表会談で北の朴英洙(パク・ヨンス)団長が「戦争が起きれば(ソウルが)『火の海』になる」と威嚇し、大きな物議をもたらした。北は2010年にも韓国軍の拡声器設置について、「(韓国は)ソウルの火の海までも見越した無慈悲な軍事的打撃に直面するだろう」と警告している。北は今回、VXガスの実用段階に入っていることを実証した。朴英洙流の表現をすれば、「VXがソウル上空を覆う時」が来るかもしれないのだ。

「金正男氏暗殺事件」で、北は核爆弾だけではなく、化学兵器をソウルにばらまく能力を有していることを誇示した。神経剤VXは威力では核爆弾より劣るが、殺傷力やその周辺への影響は核爆弾と同様の破壊力を有している。

核爆弾の場合、ミサイルに搭載して発射するか、戦闘機で落下させるかの方法が必要だ。その為には多数の準備がいるうえ、核爆弾搭載ミサイルの発射は外部から監視されるだろうから、発射前に敵国に攻撃される危険性があり得る。その上、多数の核専門家が必要だ。一方、神経剤VXの場合、数人の化学者がいれば十分だ。VXを使用する側に危険が及ばず、敵を殺害する。製造費用は安いうえ、持ち運びも可能だ。「金正男氏暗殺事件」に使用された神経剤VXは北外交官の「外交行嚢」を利用してマレーシアに持ち込まれたという情報も流れているほどだ。

金正男氏殺害の例を見れば、20分余りで正男氏は呼吸困難で亡くなっている。その殺傷力は恐ろしい。その恐ろしい武器を北側が生産し、実用可能な段階に到達しているという事実を冷静に考えなければならない。
韓国民は首都ソウルを少し北上したところに化学兵器を保有する国が存在し、その無慈悲な武器の使用に躊躇しない独裁者が君臨している、という事実を忘れてはならない。

平壌が神経ガスを搭載したミサイルをソウルに発射した場合、数えきれない犠牲者が出ることは間違いない。韓国は国内の政争に明け暮れている時ではない。国家の運命がかかっている瞬間が近いのだ。

ちなみに、北は外貨獲得のために化学兵器をテロ組織やならず者国家に売るかもしれない。イスラム過激派グループに北製の化学兵器が渡るかもしれない。国際社会は、北の蛮行を阻止するために、対北制裁を強化する一方、軍事的選択をもはや排除しないという強硬姿勢を平壌に向かって示すべき時だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年3月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。