「世界は別に私のためにあるわけじゃない」というのは吉本ばななさんの「満月」に出てくる言葉です。グーグルで検索したら、齋藤孝氏をはじめ多くの人達が引用しているのに驚きました。
私は、法律相談に来られて苦悩に顔を歪めている人たちに対し、よく次のような話をしました。
「お気持ち、深くお察しします。ただ、◯◯さんのような苦しみを抱えている人は世の中にたくさんいるのです。今日、私が相談を受けた中だけでも、〇〇さんよりはるかに切羽詰まった人が2人はいました。街中を平然とした顔をして歩いている人たち半分以上は大きな悩みを抱えているのです」
人間は、不幸な目にあうと「自分だけがどうして…」と思い込む傾向があります。もちろん、私も同じです。
人間が自分自身のことに最大級の関心を抱く生き物である以上、やむを得ないことなのでしょう。あなたにとって、海外起こったテロ事件より、自分の腰痛や頭痛の方がはるかに深刻な問題のはずです。
「努力しても報われなかった」と思っても、私たちは漫画やドラマの主人公でじゃありません。
とりわけ、実社会では「報われない努力」の方が圧倒的に多いのではないでしょうか?会社のために寝食を忘れて働いても、(とりわけ大組織だと)役員になれるのは天文学的確率とういうのが現実でしょう。
ですから、不幸な目にあったと思った時には、ドラマの主人公から降りてしまうのも一つの手です。客観的に見れば、自分も「その他大勢」と同じなのです。
そう考えると、自分が他人のことにさほど関心を示さないのと同じように、他人も自分のことにさほど関心がないということがわかるはずです。
テレビで頻繁に登場する総理大臣であっても、安倍首相の一代前の総理大臣が誰でどんなことをしたかを憶えていない人が結構いるのではないでしょうか?自分が気にするほど、他人は自分のことに関心を持たないものなのです。
雨露をしのげる場所があり、三食不自由なく食べることができ、重病を患っていなければ、それだけでかなり幸せな部類に入ります。世界中には衣食住すら満足に得られな人達が数え切れないくらいいるのですから。
追い求めるモノが得られなくとも、今持っているモノ(衣食住、健康、電気製品等々)に目を向ければ、今の日本社会に暮らしている私たちはかなり幸せなのでありましょう。
しょせん自分も「その他大勢の一人」。Let It Be で流されましょう。そのうち楽しい風が吹いてくるはずです。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年4月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。