前川喜平氏の「たった一人の満州事変」


加計学園の騒動は、菅官房長官が文書の存在を全面否定したため、かえって野党に攻撃材料を与えてしまったが、存在していても大した話ではない。霞ヶ関には山のようにある(公印も日付もない)メモだが、おもしろかったのは、前川喜平氏の座右の銘は面従腹背という発言である。6月1日の「報道ステーション」で、彼はこう語った。

私ね、座右の銘が「面従腹背」なんですよ。これは普通は悪い意味で使われるんだけど、役人の心得としてある程度の面従腹背はどうしても必要だし、面従腹背の技術というか資質はやっぱりもつ必要があるので、ですから表向き、とにかく政権中枢に言われたとおり「見つかりませんでした」という結論にもっていくけども、しかし巷では次々に見つかっているという状態ということを考えたかもしれない。

霞ヶ関では、これに共感する官僚も多いと思う。自民党の政治家のゴリ押しを適当にあしらうのは官僚の処世術ともいえようが、これは「政権中枢」に対する元事務次官の言葉である。彼が高等教育局長に「加計学園を進めてくれ」といって局長が面従腹背したら、どうなるだろうか。

役所は動かないように思えるが、そんなことはない。意思決定は課長クラスで実質的に行われるので、次官がトップダウンで命令しても現場は面従腹背で受け流し、命令しなくても現場で動く。このように中間管理職の現場主義で意思決定するのが、戦前からの日本の官僚機構の特徴だ。特にその傾向が強かったのが軍部である。

1931年に政府の不拡大方針に反して、関東軍は満州事変を始めた。これは軍中央の命令なしで戦争を開始する重大な軍紀違反で、本来なら石原莞爾(関東軍参謀)は処刑されるところだったが、新聞は彼の面従腹背を賞賛し、国民は関東軍の快進撃に拍手を送った。

戦前の政府の意思決定を混乱に陥れたのは「ファシストの独走」ではなく、前川氏のような中間管理職の面従腹背だった。石原の作戦がそれなりに正しかった(陸軍の中枢も黙認していた)ように、前川氏も主観的には善意でやったのだろう。マスコミも彼の「たった一人の反乱」を応援しているが、問題は彼の意図でも人柄でもない。

彼が「民主主義のもとでは国民の監視が必要だ」というのも逆である。このような部分最適化による混乱を避けるために、国民は選挙で安倍政権を選び、内閣は国民の代表として官僚を監視しているのだ。その指示に面従腹背で官僚機構が暴走すると、よくて何も決まらない。悪くすると満州事変のようになるのである。