「日中文化コミュニケーション」の授業の自由研究で、先週、ある女子学生が中国と日本の書道比較をし、最後に自分の書を披露してくれた。彼女が選んだ文字は「陰陽」。中国で生まれ、日本にも伝わり、独自の発展をした思想だ。一連の授業では、古事記や日本書紀の天地創造神話も、陰陽の影響を受けていることに触れた。最後の一コマを残すだけとなった段階で、こんなパフォーマンスが出たことをうれしく思った。
数日後、彼女を含む何人かの学生と食事をした際、「陰陽」の話題になった。文字の成り立ちは、陰は雲が日を覆う形、陽は日が差し込む形である。陰陽とは性質の異なる二つの対立項が、相互に関係し合いながら物質を構成することを説く。「道は一を生す。一は二を生ず。二は三を生ず。三は万物を生じる」(『老子』)という。根本の「道=無」から一つの太極が生じ、そこから「二=陰陽」が生まれる。『易経』には「太極は両儀(=陰陽)を生ず」とある。韓国では陰陽の思想が国旗にまで取り入れられた。
異なる性質は、別個に存在するのではなく、相互に関連してからこそお互いの存在意義がある。生徒がいなければ先生は授業ができない。先生がいなければ生徒はどこに向かっていけばよいのかわからない。太極の図も白黒の魚がお互いを飲み込むように融合し、白の中に黒い点、黒の中に白い点を含む。異なるものからさらに新たな生み出す力は、中庸の教えにも通ずる。中庸とは、両極にある考えを足して二で割るのではない。それを乗り越えて新たな境地に達する教えだ。中国人と接するとき、忘れてはならない原則だ。
陰陽は天と地、太陽と月、人間でいえば男と女・・・。
では日本は、と考えた。日本ではアマテラス(天照大神)は女性神だから、太陽は女性になる、しばしば、「お母さんは家族の太陽だ」と言われる。母親が病気になると、たちまち家庭の灯が消えたように暗くなるのは、みなが経験しているところだろう。
若干、遠回りになるが、前回の授業で魯迅『故郷』の道と高村光太郎の『道程』について比較した。
ともに道を「歩んできた跡」とする点では一致しているが、魯迅が半植民地化する祖国を憂い、「多くの人が歩くから、それが路となる」と多数、すなわち民族の命運に思いをはせたのに対し、光太郎はあくまで、偉大な父を乗り越えていく自分の視点にとどまる。この点については、以前のブログに書いた。
『道程』は父を想起しながら、「ぼくの前に道はない」と未知への決意を高らかに歌う。だが、音楽に興味のある男子学生が、興味深い指摘をした。母への思いを込めたキロロの『未来へ』は、明るい将来への道を歌っているではないか、と。彼は以前の授業で、日中流行歌の歌詞比較をした。ウクレレでジブリ映画『猫の恩返し』の主題歌も歌ってくれた。
父は過去の重しになっているが、母は未来への導きになっている。これもまた陰陽のバランスというべきか。家庭を明るく照らす太陽が母親ならば、父は不動の大木、岩のような存在である。すくなくとも一昔前の一般的な考え方では。
『未来へ』の中国語版は、日本語歌詞「ほら」の音からの連想で、実らぬ恋の歌『後来(houlai)』に模様替えされているのだが、今の若者はそれに飽きたらず、原語で聞き、理解しようとする。母を太陽とするのならば、宇多田ヒカルが母に贈った『花束を君に』も「世界中が雨の日も 君の笑顔が僕の太陽だったよ」と歌っている。「道」ならば、絢香(Ayaka)の『にじいろ』にも「これからはじまるあなたの物語 ずっと長く道は続くよ」がある。学生たちがそんなことを教えられ、こちらが目を丸くする。
そして・・・今週の最終授業では学生のギターで私が『未来へ』を日本語で歌うことになった。ただいま練習中。
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年6月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。