日本で英語の裁判をするのか

2017年06月27日 11:30

政府は、2020年の東京オリンピック開催までに、日本をアジア最大の国際金融センターにするという構想を掲げている。日本の金融の実情を知り抜いている専門家ほど、現実味のない妄論だと一蹴してしまうのだが・・・

難問の第一は英語である。英語といっても、言葉だけの問題ではなく、法文化の次元において、徹底的に英米法化を推進するということである。国際金融センターというからには、国際的に通用する法制度のもとに統制される必要があるのだが、国際金融分野では、英米法の事実上の圧倒的優位が確立しているからである。

日本法を英語に翻訳するということではない。翻訳というのは、役に立たないというよりも、むしろ、混乱のもとである。例えば、信託をtrustと訳すことは、英米法におけるtrustが日本の信託とは大きく異なることを考えれば、誤解のもとである。翻訳ではなくて、日本の信託を英米法のtrustにしてしまうことが必要なのだ。

もちろん、日本の法体系の全体を変えるわけにはいかないから、技術的な工夫が要る。国家戦略特区というのは、そういう工夫だ。英領ケイマンなど、いわゆるオフショアというのも、資産管理に特化した国際金融センターなのだが、それは、物理的にも、本国から切り離された特区である。そこを、物理空間的に特区とするのでなくて、法律空間的に特区とするのが国家戦略特区の機能なのである。

国際金融法務だけでなく、租税の扱いをはじめ、土地利用や雇用など、様々な法分野に特例を認めることで、国内法のなかに特別な法律空間を作る、それが国家戦略特区の設定の目的でなければならない。ならば、特区では、法律の効果の実現手段としての裁判も英米法化するのだろうか。

例えば、海難審判のように、特殊で専門性の高い分野では、特別な司法制度が行われている。金融取引の高度な専門性を考えれば、その全てとはいわないまでも、国境を超える取引などの特別な分野に限り、独立した専門裁判所を設けることも、検討されるべきではないか。なにしろ、法律は、法律の効果が実現してこそ、法律として機能するわけだから、裁判制度の整備は不可欠の要素なのである。

では、英語で裁判をするのか。弁護士はともかく、裁判官が英語をしゃべる姿は、現状では、想像し難い。しかし、訴訟当事者が外国人である場合を想定し、真の国際金融センターを目指すのであれば、英語の裁判になるのであろう。

いずれにしても、契約における裁判管轄の取決めの問題は深刻である。今の日本の現状では、海外からの取引参加者は、裁判管轄を日本とすることに難色を示すことが予想される。そこを日本側が妥協して、海外の裁判管轄を認めれば、日本に著しく不利になる。やはり、日本で訴訟するのと、海外で訴訟するのと、条件を同じにしなくてはいけないとしたら、日本の裁判実務を変える必要があるのだ。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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