潮州人・李嘉誠氏が16回の卒業式で語った心

実業家として大成した香港の李嘉誠氏は1981年、汕頭大学を創設した。大学の運営は中央政府の教育部、地元の広東省、そして「李嘉誠基金」によって行われているが、資金の大半は同基金から拠出される。個人の基金で運営される大学は中国で唯一である。だから学費、宿泊費、食費も他大学に比べて安く、低所得者層への配慮がされている。学生食堂には「2.5元ランチ」がある。日本円で40円出せば、ご飯とおかず二皿がついてくる。

また、在学中、できるだけすべての学生に海外、境外(台湾や香港)での経験ができるよう、各種プログラムが用意されている。もちろん費用は同基金が負担する。ジャーナリズム学部が行っている海外への取材ツアーは、他大学がうらやむユニークな試みだ。外国人教員も多い。手厚い資金援助は独立を担保する。歴史は浅いが、自由と国際性が汕頭大学の特徴である。

汕頭は隣接する潮州とともに潮汕地区と称される。李嘉誠氏は1939年、日本軍による攻撃下、11歳で家族とともに故郷の潮州から香港に移住した。日本軍は同年、潮汕地区を占領した。潮汕はもともと貧しい土地だったため、人々は海外に活路を求めた。そこで多くの華僑が生まれた。特にタイでは政財界に一大勢力を築くほどだ。華僑にとって故郷への恩返しは重要な積善である。特に教育への支援は高い尊敬を受ける。李嘉誠氏は同大のほか、汕頭市内に附属病院も設立しており、地元市民から幅広く慕われている。学生たちは親しみを込め、彼を「誠兄さん」と呼ぶ。

潮汕地区は、かつて中原から戦乱や自然災害を逃れて来た人々が移り住んだ地だ。山に囲まれ交通の便が悪いため、その分、伝統文化が色濃く残る。潮汕語は広東語とは異なり、台湾語に近い。潮汕料理は、あっさりした素朴な味付けで、独自の位置づけを得ている。家系の存続を重んじる祖宗文化が根強く、男尊女卑の風潮がある。よく言えば団結が強く、悪く言えば閉鎖的だ。

改革・開放政策後、汕頭は深センやアモイと並んで経済特区に指定されたが、閉鎖性が災いし、発展から取り残された。汕頭大学は産学連携の役割を期待されたが、地元に人材を受け入れる産業は育たなかった。それでも大学は独自の努力を続け、知名度を高め、就職率も広東省では高いランクに位置する。李嘉誠氏は2002年から毎年、卒業式に参加し、これまで計16回スピーチをしている。成功の秘訣や人生のノウハウを伝えるのではなく、人の心を説く、含蓄に富んだ内容だ。だからしばしばメディアにも取り上げられる。

90歳の誕生日を来年に控えた今年は、克己による悟りの境地、命運を支える「善き選択」、生まれながら持っている「良知」をなど語った。これまでの集大成とも言える内容だった。彼が用いる独特な用語には、儒教や道教、仏教など伝統文化への信仰が感じられる。個性の確立を求めると同時に、無一物の覚悟がある。「自我を建立し、無我を追求する」が、氏の託した校是である。

スピーチの詳細はすでに紹介したので触れない。過去のスピーチを振り返ってみる。

2002年、複雑な社会、不透明な人生を前に「生命の主催者」としての自覚を促したのをはじめ、「人間性への反省」(03年)、自分の原則に支えられた「生命GPSの座標」(04年)、原則と事実、正義をわきまえる胆力(05年)を求めてきた。また「立志」(10年)や「独自の精神地図」(11年)を説く一方、社会における信頼(14年)の重要性や、謙虚に反省する「自負指数」(08年)の意義を訴えた。

人工知能に関心を示す李嘉誠氏だが、昨年の卒業式スピーチでは、科学技術や人材開発と同時に、社会の包容力を「燃料」として重視した。それは謙虚な学習態度によって培われる。氏は学生たちに、世の中を憂え、人々を思いやる心を望んだ。
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昨日、北京から一時帰国した。来週は北海道大学で講演をし、それからじっくりと秋季学期の準備を進める。しばらく図書館通いの夏休みが続きそうだ。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年7月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。