朝日記者らの「フェイクニュース論」2冊の難点

中村 仁

何が真実か分からない情報時代

ネット社会を生き抜くには、フェイクニュース(偽情報)の見極めと、ファクトチェック(事実の検証)を欠かせない時代になりました。ほぼ同時に発刊された「フェイクニュースの見分け方」(新潮新書、烏賀陽弘道著)と「民主主義を壊すフェイクニュースの正体」(朝日新書、平和博著)を読んでみました。烏賀陽氏は朝日記者OB、平氏は朝日の現役記者です。

烏賀陽氏の本を読み始めると、題名(タイトル)にあるフェイクニュースのことはあまり書かれていません。書かれているのは、新聞、テレビ、雑誌、書籍、ネット情報の真偽の見分け方がほとんどです。ファクトチェックの仕方、ノウハウが中心になっています。それで「えっ、この本は題名と内容が違うのでは」が、真っ先に抱いた感想です。

平氏の本では、フェイクニュースは「事実に基づかない偽情報で、ネット上に拡散していく」との定義が紹介され、「拡散しやすいようにインパクトの強い見出しをつけ、見出しと本文の内容が一致しないことが多い」などど、書かれています。ネット上に飛び交う意図した偽情報、その拡散がフェイクニュース論です。烏賀陽氏の本は、見出しと本文が一致しない。なるほど、この本こそ、フェイクニュースの一例ではないか。

ファクトチェックの必要性と限界

恐らく、烏賀陽氏の題名は当初、「ファクトチェック論」みたいなものだったのでしょう。固いタイトルでは売りにくいし、最近のはやりはフェイクニュースなので、担当編集者が著者と相談の上、題名を変えたと想像します。どうでもいいような話であっても、「フェイクニュース」を論じる本が「フェイク」だとは、皮肉です。もっとも古くからあるデマもフェイクでしょうから、フェイクの範囲を広げて考える意味はあります。

烏賀陽氏は当初の目的であったであろうファクトチェックでは、辛辣なことを書いています。福島原発事故の際、現場責任者だった吉田昌郎氏を取り上げた「死の淵を見た男」(門田隆将著)は「戦争に匹敵する過酷な状況で命を賭けた闘いの勇者」として描いているとし、よくある英雄譚の一種と、斬り捨てています。なるほど。

「吉田氏は本店勤務時代に、高い津波襲来の想定を否定し、結局、原発事故と汚染・被曝という大惨事を招いた戦犯の一人なのだ」と、位置づけています。「英雄」、「勇者」など一面的な情報だけを取捨選択していると、批判します。「ものごとはネガティブな情報も等しく、公平にみる」ことでファクトに近づけるというのです。そうでしょうね。

STAP細胞の「発見者」とされる小保方春子氏の手記「あの日」も、烏賀陽氏は「生い立ち、身辺記録、調査委員会の聴取による心理的・身体的圧迫、マスコミの過激取材のことは書かれている。肝心なことが書かれていない。STAP細胞は存在するという主張を証明する記述は見つけられなかった」と酷評します。本や記事を正しく評価するには、「STAP細胞を否定するなど、正反対の立場の記事、書籍に目を通しておくことが必要だ」といいます。多面的にみよ、ということです。

限られた当事者でないと分からない

正論であるにしても、実際は、そう簡単にはいきません。加計学園問題の国会審議をみていると、正反対の立場(政権・政府と野党)が、真っ二つに割れています。双方を見ていても真実は分からない。どちらかがウソをついているか、ごまかしている。従って限られた当事者でないと真実は分からないというケースの典型です。

日銀の脱デフレ政策では、2%目標の達成時期はおろか、当面の物価見通しすら、何度も修正しています。日銀は実現不可能を知っていながら、修正したというポーズをとっていると考えます。日銀の目標、見通しはフェイク(虚偽)です。脱デフレ願望というなら許せます。それではアベノミクスという政治がもたない。真実を語らない、語れない時代なのです。フェイクのをネット問題に限定せず、幅を広げて考えることには賛成です。

平氏の著書は、フェイクニュースに関する具体例、発信者、目的、手法など掘り下げて叙述しています。巻末にそえられた出所、出典をみると、労作に違いありません。難点はほとんどが米国におけるネット上のフェイクニュースを問題にしています。よく情報を収集したと感心すると同時に、他者が書いた情報を要領よくまとめた本という限界も感じます。

フェイクであるか否かを検証するファクトチェックについては、フェースブックがやっと、対策に乗り出していることを紹介しています。「ユーザーがフェイクニュースを通報しやすくする」、「外部の検証機関によってフェイクと認定されたら真偽が問われているとの文言を表示する」、「そのニュースサイトへの広告配信を止める」などです。

そういう努力は必要にしても、「フェイクニュースだ」と通報する人が信頼できるかどうかです。悪意ある第三者かもしれません。「外部の検証機関」についても権威が求められます。加計学園問題でも、延々と審議、論議、追及を重ねても、本当のところは、相当な時間を置いてから、過去に遡って調べないと、真実は解明されないでしょうね。

「ネット社会では、人々は情報を次々に転送するだけ。だれもなんのファクトチェックをしない」。平氏はそんな専門家の指摘を紹介しています。真実が解明される前に、世論が動き、政党・政権の支持率が左右される。新聞など伝統的メディアでは、記者、編集者、校閲、編集長がいて何層かでニュースを点検しています。情報の信頼性では、まだましでしょう。

伝統メディアはネット、SNSに影響力、経営力で追い越され、さらに、信頼性があるから権力者から目の敵にされる。情報化社会は進化するのか、崩壊するのか。どちらに向かうのでしょうか。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2017年7月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。