2017年07月27日、民進党の蓮舫代表が辞任会見をしました。SNSにおいて「蓮舫代表は代表を辞任すべきである」という主張は代表就任の瞬間から現在まで絶え間なくありましたが、蓮舫代表にとって致命的だったのが、その批判の内容を最後まで聞き入れることなく、最後まで【ダブルスタンダード/二重基準 double standard / doublethink】を貫き通したことであると考えます。
もしも蓮舫議員を蓮舫議員が追及したとしたら
蓮舫議員が代表選を勝ち抜いて代表に就任したころ、私は「もしも蓮舫議員の二重国籍問題を蓮舫議員が追及したとしたら(笑)-ブーメランの女王はガソリーヌでなく私よ!」というタイトルの約15分にわたる動画をyoutubeにアップロードしました。
これは二重国籍疑惑に対する蓮舫議員の発言と、国会やメディア等における過去の蓮舫議員の発言を交互に並べることで、蓮舫議員のダブルスタンダードを顕在化することを試みたものです。
偏見や予断を持たない【白紙 tabula rasa】の状態の下で、国民が政権を論理的に監視することは極めて重要です。しかしながら、特定の野党による党利党略を目的とした【ポピュリズム populism】や売上増を目的としたマスメディアの【センセーショナリズム sensationalism】に【心理操作 psychological manipulation】された状態の下で、国民が政権を理不尽に監視することはあってはならないことです。私がこの動画を作った理由は、一人でも多くの方に、国民を印象で操作しているポピュリストの存在を十分に理解した上で、政権監視とともに、民進党をはじめとする政権追及側の是非も公正にチェックしていただきたいと思ったからです。
この動画をyoutubeにアップロードした段階では、動画を視聴いただいた方はごく少数でしたが、池田信夫さんにtwitterでご紹介いただいた時から視聴回数が増え始め、八幡和郎先生に[アゴラ]で取り上げていただくとともに産経ニュースで紹介していただいたことを契機に、本当に多くの方に御視聴いただくことになりました。時同じくして、SNSで多くの方々が【ブーメラン・チェック】を活発化され、それまでは静かなブームであった【ブーメラン】という言葉が民進党を想起させる日常茶飯事のタームとなっていきました。
結局、蓮舫代表の在任期間において、「守りが弱い」と自覚する蓮舫代表にとっての最大の敵は、「攻めが強い」と自覚する蓮舫代表自身であったと言えます。蓮舫代表が政敵を罵れば罵るほど、それが【ブーメラン】として正確に蓮舫代表を強襲し続けたわけです。
蓮舫代表のダブルスタンダード
ここで、【論理 logic】と【倫理 ethics】という概念を用いて蓮舫代表の【ダブルスタンダード】について考えます。【論理】とは言説や主張の【真/偽 true/false】を判定するものあり、その判定規準は科学的な原理に従います。ここに個人の意思は介入できません。一方、【倫理】とは言説や主張の【善/悪 good/evil】を判定するものであり、その判定規準は個人の価値観に従います。このような基本概念の下で、【論理的なダブルスタンダード】と【倫理的なダブルスタンダード】について分けて考えてみたいと思います。
まず、【論理的なダブル・スタンダード】に関して、「ある主張は【ダブル・スタンダード】であるから、その主張は【偽】である」という命題は成立しません。【ダブル・スタンダード】である二つの主張のうち一方は【真 true】である可能性があり、【ダブル・スタンダード】の主張が互いに排反している場合には、一方の主張は必ず【真】となります。重要なことは、【論理的なダブル・スタンダード】は、発言者が【論理】を理解していないこと、つまり発言者の【能力 ability】に起因して生じるということです。
一方、【倫理的なダブル・スタンダード】に関して、「ある主張は【ダブル・スタンダード】であるから、その主張は【悪】である」という命題は成立します。なぜなら、【倫理】は発言者の【価値観】であり、発言者が【価値観】を恣意的に変化させない限り、【ダブル・スタンダード】は発生しないからです。当然のことながら、この【倫理的なダブル・スタンダード】は、発言者の【人格 personality】に起因して生じます。
ここで、蓮舫代表の【ダブル・スタンダード】が、【論理的なダブル・スタンダード】と【倫理的なダブル・スタンダード】のどちらかと言えば、その大半が、自らの倫理はさておいて、政敵の倫理をヒステリックに罵倒する【倫理的なダブル・スタンダード】であると言えます。つまり、蓮舫代表の【ダブル・スタンダード】は、蓮舫代表の【人格】に起因して生じているということです。驚くべきことに、蓮舫代表は就任以来、直近の国会質疑[参議院閉会中審査]にいたるまで、この【倫理的なダブル・スタンダード】を継続していたわけです。
【内集団 ingroup】の民進党にとって都合のよい無謀な【ドクサ doxa】を絶対に捨てない【間主観性 intersubjectivity】の不足も深刻でした。国会審議においては、政府の反論に一切の耳を貸さずに、まるで放送作家の台本を暗記してきたような演技がかった口ぶりで、自分でも遵守できていない【倫理規範 Ethical code】を一方的に求め続けたと言えます。
代表辞任
都議選以降、蓮舫代表は、産経新聞以外のマスメディアからもダメ出しされるなど、マスメディア権力全体から失格の烙印をインプリシットに受けていたと思います。国会を劇場化しようとした大袈裟な言葉遣いの女優が、マスメディアの【センセーショナリズム】から見捨てられた今、退場していくのは理に適っています。
蓮舫代表は、辞任会見で「国民の皆様に言えるのは、攻めの部分ではしっかりと行政監視してきた」と発言しています。私は、これが蓮舫代表の最大の勘違いであると考えます。【人格攻撃 ad hominem】あるのみのボロボロな【ダブル・スタンダード】で不合理な行政監視をしてきたからこそ、国民に「遠心力」が働いたものと推察します。
そもそも、【批判 Kritik】とは、本来は物事を分析して答えを出すポジティヴな概念ですが、蓮舫民進党の批判は、相手を罵倒して政敵の人格を否定するだけのネガティヴな【人格攻撃】に尽きるものでした。【構造主義 structuralisme】的な視点が欠如した行き当たりばったりの疑惑追及チームの病的な乱立も民進党を蝕んできたと考えます。このような民進党の【人格攻撃】中毒・依存症が民進党の支持率を数%に押し下げ、存亡の危機に導いているものと推察します。
政策面では、【リバタリアニズム libertarianism】なのか【リベラリズム liberalism】なのか、さっぱりわからないブレブレの経済政策に加えて、根拠がわからない【ブリコラージュ Bricolage】のような計画で早期に「脱原発」できるかのような幻想を宣言し、連合から見捨てられました。「批判から提案の民進党に」というスローガンは空しく沈みました。
一部メディアは、不要になった主演女優の辞任会見において、いつになく厳しい質問を投げかけました。歴史上の王朝交代劇において、次のメイン・キャストの正統性を強調するために前任者を貶めることはよくあることです。一部メディアが誰を後継者として望むのか、報道を注視する必要があると思います。
いずれにしても蓮舫代表辞任をもって一番危機感を抱いているのは安倍政権であると推察します。
編集部より:この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2017年7月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。