立憲民主党のアイドル 小林よしのり氏の「心情倫理」

今回の総選挙のスターは希望の党ではなく、立憲民主党である。世論調査で小池百合子氏が失速したのは、枝野幸男氏が結党宣言した直後だった。その立憲民主党の応援に駆けつけたのが、小林よしのり氏だ。彼の応援演説は「安倍はヒトラーだ」みたいなありきたりの話だが、それなりの「つかみ」がある(写真はBuzzfeedより)。

なんで保守がリベラルを応援するのか。それはね、保守じゃないからですよ、自民党が。あれは単なる対米追従勢力です。アメリカについて行って戦争しろと。それだけですよ。自衛隊を自衛隊のまま集団的自衛権に参加させるんですか? こんな恐ろしいことはないですよ。枝野さんは安保法制の議論のときに個別的自衛権を強化しろと言った。実はこれがね、保守の考え方なんですよ。

「対米追従」が悪いのなら日米同盟を解消して憲法を改正し、日本も核武装するしかない。彼はかつてそう主張していたのだが、この演説では「立憲主義」を主張する。つまり枝野氏と同じく憲法9条を守れというのだ。彼の話は論理的に成り立たないが、それなりの一貫性がある。結果を考えないで、そのときの聴衆の心情倫理に訴えることだ。

民主政治では主権者たる国民が投票で意思決定することになっているが、現実には1票で国政選挙の結果は変わらない。だから合理的な有権者は棄権するが、公明党や共産党の支持者は投票する。それは投票が彼らの人生の目的だからである。有権者に投票させるには正しい政策を訴える必要はなく、彼らが投票する気持ちにすることが大事なのだ。

個々の有権者が結果に責任を負う必要はないので、彼らが責任倫理で行動する理由はない。ウェーバーがこの概念を使ったのは「職業としての政治」についてであり、政治を職業としない人々が心情のおもむくままに行動するのは当然である。有権者にとって政治は、マンガと同じ娯楽なのだ。

この心情倫理が55年体制を支えた。社会党が「自衛隊・安保は違憲だ」という主張を捨てたのは村山富市委員長が(偶然)政権についたためで、あれがなければ土井たか子氏のように主張を変えなかっただろう。それで何の不都合もない。政権につかない限り「戦争はいけない」という純粋な気持ちにアピールするほうがわかりやすい。

この点で憲法改正や安保法制のような危険なテーマにふれた希望の党の責任倫理は中途半端で、消費増税凍結や原発ゼロの心情倫理と整合性がなかった。立憲民主党は昔の社会党のような「アメリカと一緒に戦争する自民党は汚い」という心情倫理に純化した党であり、野党としては強い。彼らは永遠に政権につく心配がないからだ。