カタルーニャ州政府によるクーデターの行方

白石 和幸

Global Panorama(2014年撮影)/flickr(編集部)

マドリード市内の建物に国家統一の象徴を示すスペイン国旗が目立って見られるようになっている。

カタルーニャには独立を支持する市民と反対する市民がほぼ半分に分かれている。僅かではあるが常に独立反対派が支持派を上回っていた。世界で当初報道されていたような、カタルーニャで誰もが独立を望んでいるのではないのである。

その社会事情を無視して、強引にカタルーニャを独立させようと仕組んだのがカタルーニャ州政府である。州政府は民主政治を冒涜して、スペイン憲法も蹂躙した。その州政府が憲法以上に重要なのは人権の尊重だといっているのである。これも一般常識では理解し難い。

スペインの政治家やジャーナリストの間では、今回起きていることを「州政府によるクーデータ」と位置づけている。そして、彼らの多くはラホイ首相がなぜ憲法155条に謳われている自治機能の停止を適用しないのかと迫っている。

4日のスペインの大半の紙面に、アルフォンソ・ゲッラ元副首相がラジオ「オンダ・セロ」のインタビュー番組で答えたことが報道された。ゲッラは、州政府と対話すべきだと主張している政治家に対し、「テヘロと対話しろというのか?」と答えた。テヘロというのは1981年2月23日に次期首相の選任投票をしていた国会の議事室に拳銃を手にもって乱入して来たテヘロ中尉のことである。彼は数名の治安機動隊員を連れて議事室に乱入し、天井に数発発砲した。それは軍部によるクーデターであった。彼の任務は首相を始め、閣僚と議員を一時的に拘束することであった。その間に、反乱軍部が政府の主要基幹を掌握しようとしたのであった。結局、ファン・カルロス国王(前国王で現国王の父親)が軍部を掌握してクーデターを企もうとした軍人らを降伏させた。

ゲッラ元首相が言っているのは州政府と対話しよとすることはクーデータを遂行しようとしたテヘロ中尉と対話しろと言っているようなもので、それが如何に不条理であるか理解するのは容易であると言っているのである。そして、彼は「私の経験から、この40年間で独立派にひとつ譲歩すれば、彼らはさらに要求して来る」と語った。彼も155条はもうずっと以前に適用されているべきだという意見で、他の政党と相談などする必要はない。上院は与党国民党が過半数を占めているのであるから、155条で自治機能を停止させるための賛成は問題なく取得できるという見解を表明した。

ゲッラ元首相は12年間政権を維持した社会労働党のフェリペ・ゴンサレス元首相を10年間副首相として支えた人物で、現役から退いているが、現在も政界では彼への評価は高い。そのフェリペ・ゴンサレス元首相も155条を適用するのは9月始めにカタルーニャ議会が独立の為の立法を承認した時だったと指摘している。

また5日には、ラホイ首相がまだ政権を取る前に彼を後継者に指名したアズナール元首相も「この犯罪の責任者の行動をゼロにするためには言葉ではもう通用しない。カタルーニャで民主主義の死を宣告させることなど許されない」といって155条の即刻なる適用を要求したのであった。

3日に国王フェリペ6世が声明を発表した。今回のように国王が声明を発表するのはこれまでクリスマス・イブに行われるだけであった。唯一、例外は上述したクーデターが未遂に終わった1981年2月23日夜中のファン・カルロス国王の「全ての軍部は私が掌握した。民主政治を破壊しようとすることには断固それを許すことはできない」というテレビ声明であった。筆者もその声明を聞いたひとりである。

フェリペ国王は今回の事態は国家の運命に重要な鍵を握っていると判断して声明を発表したのであるが、国王がカタルーニャ州政府に対し、スペインの民主憲法に背く行為であると国王自らの見解を表明したのは初めてであった。それを電子紙『El Independiente』の設立者でジャーナリストのカシミロ・ガルシアは同紙に次のように記述した。

州政府が奨励したスト。バルセロナ市長のアダ・コラウまでが治安機動隊と警察機動隊がカタルーニャから退去することを表明した。ある自治体ではスペイン国旗が自治体の首長によってマストからむしり取られた。州政府によるクーデターの真っただ中に我々はいる。

このように綴った上で、国王は国家元首としての務めを果たした、と指摘し、これでラホイ首相に残されていた最後の弾を使ったことになる。さて、これから何をするのだ?と首相に質問を発した論評をした。

「カタルーニャでは法的問題はもう重要ではなくなっている。法律そのものが消えてしまったからだ」と指摘しているのは護憲派弁護士会の会長リュイス・ウゲーである。

この州政府が10月1日の住民投票の結果から、翌日には独立への基盤は出来と表明した場面を観た企業は続々とカタルーニャから去る決意をしたのである。それを最初に実行に移したのはオリゾン(Oryzon)であった。オリゾンはスペインを代表するバイオ医学のトップで、登記上の本社をバルセロナからマドリードに移した。それで同社の下落していた株価は12%以上一挙に上昇した。

その後、カタルーニャを代表する2大銀行カイシャ・バンクとサバデイル銀行も本社をカタルーニャ以外の都市に移すことを決めた。カイシャ・バンクはスペインで預金高で3番目に位置する大手銀行である。カイシャ・バンクはバレンシアに本社を移し、サバデル銀行はバレンシア州のアリカンテに移転を決めた。

この2大銀行に続けという感じで、10月16日まで僅か2週間余りにで大手企業を含め500社以上が登記上の本社を州外に移したのである。その結果、カタルーニャには同州に本社を構える銀行は皆無となった。

何故、本社をカタルーニャから移す必要があるのか?カタルーニャが共和国に成れば、EU圏外に置かれ、ユーロ通貨は流通しなくなる。単一市場への無関税のアクセスも出来なくなる。このような独立国家に残ることはどの企業も望まない。また、このような国家に外国から投資する魅力もない。孤立した国家になるのである。

この様な事情から本社を州外に移したことで、例えば、法人税の税収の1割程度が州政府の財政に還元されることになるが、その歳入が今後カタルーニャ州政府にはなくなったことになる。

カナダのケベック州が独立気運が高まった時に同じく銀行を含め700社以上の企業が同州から去った。その後遺症は現在ケベックはオンタリオやトロントに比べ成長が遅れているに現れている。カタルーニャもその方向に向かう可能性が強い。

一方、カタルーニャ州以外のスペイン国民の間でも新しい動きが起きている。無言で腕を組んでカタルーニャ州の独立への動きを静観することは出来ないといって、マドリードを始め主要都市にはスペイン国旗が建物の窓やベランダにたくさん登場している。マドリードから70キロ離れた都市エル・エスコリアルでは50%の住宅でスペイン国旗が飾られているそうだ。愛国意識の再燃である。