井上陽水氏の古い作品に「傘がない」という歌があります。
著作権の関係で歌詞をそのまま引用することはできませんが、概略次のような内容です。
テレビや新聞ではわが国の将来や社会のことが声高に叫ばれている。しかし、自分にとっての最大の問題は雨降りの今日、君に会いに行くための傘がないことだ。
この歌詞は、人間心理を正しくかつ鋭く洞察しています。
たとえば、世界のどこかで大地震やテロがあって何百人もの人々が命を失ったり失う危険に晒されている時、あなたが原因不明の軽い偏頭痛に襲われたとしましょう。
あなたにとって、何百人もの被害者の命のことより自分の軽い偏頭痛の方が遥かに大きな悩みになるはずです。
自分に全く関係のない遠い大事件よりも、自分にとって身近な小さなこと(場合によっては関節痛程度)の方が、普通の人間にとっては大事件なのです。
まさに、「わが国の将来」より「傘がない」方が、遥かに大きな問題なのです。
実は、私自身にとっても、選挙の日の天候によって左右される「わが国の将来」よりも、東大野球部の神宮球場での最終戦が行われるかどうかの方が心配なのです(笑)
「それなら、選挙の結果で身近な事柄が変えられるとしたら、傘がなくても選挙に行くのではないか?」という疑問が湧いてきますよね。
「わが党が過半数を獲得したら、0歳から高校卒業まで夜まで完全無償で面倒を見るシステムを作ります。もし実行しなかったら党員全員が責任を取って辞職します」
こういう不退転の公約を掲げれば、子育て世代やその下の世代は傘がなくても投票所に足を運ぶことでしょう。
しかし、財源は無尽蔵にあるわけではないので、「財源として高齢者の年金をカットします」という公約も必要です。
このような公約は、おそらくどの政党も採用しません。
なぜなら、昔から選挙公約は「ど真ん中」であらねばならないという法則があるからです。
もちろん、共産党のように、例外的に長年月ブレない公約を掲げている政党もありますが…。
なぜ「ど真ん中」でなければならないかというと、候補者が道のどこに立っているかをイメージするとわかりやすいでしょう。
道の右端に立っている候補者は右端を歩く人達とたくさん握手ができます。左端でも同じです。
しかし、一番たくさんの通行人と握手できるのは道のど真ん中に立っている候補者です。
公約もこれと同じで、一部の層(先の例だと右端の通行人)の利益だけを優先すると、その他の層(真ん中から左端の通行人)の支持を得られません。
若年世代の利益だけを優先すると、中高年から高齢者の支持を得られないどころか反感すら買ってしまいます。
ということで、確固たるポリシーを持っていない政党や候補者は、「全方位等距離外交」のような公約しか掲げることができないのです。
今回の選挙では、とりわけ路上で右往左往している候補者がたくさんいます。
有権者にとっては右か左かサッパリわからない候補者がたくさんいて、到底身近な問題と同視できない状況です。
今回の選挙、傘がない有権者が雨に濡れてまで投票に行くか?
持っている傘をさして鬱陶しい雨の中を投票所に行くか?
個人的にはとてもとても興味があるところです。
もちろん、私にとっての最大の関心事は、神宮球場での野球の試合が行われるか否かですが…(笑)
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年10月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。