命をつなぎ、命を果たす:箱根駅伝から教わった大切なこと

四半世紀ぶりに、自宅で迎えることとなった今年のお正月。テレビ中継で見守った箱根駅伝から、大切なことを教えられました。

箱根駅伝では、トップ通過から20分を過ぎると号砲が打たれ、前区間選手のタスキを待たずに次の選手が繰り上げスタートを切らなくてはなりません。チームは棄権扱いとなってしまいます。

運命の20分に間に合うか否かで、今大会、全国の熱い視線を集めたのが、國學院大に進学した作新学院高校卒のK君でした。

9区から10区への中継地点、タスキを待つ後続選手まであと20mと迫ったところ、無情にも一斉スタートの号砲が響きました。

わずか5秒及ばず、國學院大のタスキは途絶えました。

道路に倒れこみ酸素吸入を受けるK君の胸中を思うと、しばらく涙が止まりませんでした。

ただ不思議と、悔しいとか悲しいといったネガティブな感情は起きず、むしろ神聖で清々しい何かが心の中で揺り起こされる気がしました。

駅伝とは、みんなでタスキを「つなぐ」こと。

勝敗やタイムを競うこととは次元を異にした、とても大切で普遍的な何かが駅伝には存在する。

だからこそ人々はこんなにも箱根駅伝に魅了されるのだと、教えられた気がしました。

「つなぐ」と言えば、私たちの生命自体、絶え間ない細胞の入れ替わり、つまり新陳代謝によってつながっています。

肌細胞のターンオーバーは28日周期、胃腸細胞は数日、筋肉や肝臓で約2ヶ月、骨細胞でも約3ヶ月で細胞は入れ替わります。

堅牢でずっと変わらないように思える骨でさえ、成長期だと約2年、成人でも約3年もすれば、全身の骨が入れ替わっています。

つまり物質的に見れば、今の私は数年前の私とはまったく別の存在であるわけです。

にも関わらず、私という存在が、私であり続けられるのはなぜでしょうか。

私を私たらしめている精神や思考といったものは、一体どこに存在して、なぜ物質的に身体が入れ替わっても、変わることなく受け継がれていくのでしょうか。

生物学者の福岡伸一さんは、その著書『動的平衡~生命はなぜそこに宿るのか』の中で、「絶え間ない分子の交換、動的な分子の平衡状態の上に生物が存在しうる」と語る一方、“記憶”について次のように言及しています。

「おそらく記憶は細胞の外側にある。…神経の細胞はシナプスという連携を作って互いに結合し、神経回路を作っている。…たとえ、個々の神経細胞の中身のタンパク質分子が、合成と分解を受けてすっかり入れ替わっても、細胞と細胞とが形作る回路の形は保持される。」

個々の細胞がどんなに入れ替わろうと、神経回路の“つながり”方は維持され、記憶は受け継がれる。

こうした現象は、たとえ物質としての肉体は朽ち果てようと、その精神や魂は営々と時を越え、後世の人々に受け継がれて行く、家族や企業、地域や民族の営みに似ています。

今年、創立133周年を迎える作新学院も、各時代を支える人々は変わろうとも、その精神や志は厳然として受け継がれ今に至っています。

つながっていることの大切さ、つなげられていることの有り難さを忘れずに、何事も感謝して“生命”をつなぎ、“使命”を果たさなければならない。

送り出した卒業生からそう教えられた、平成30年の年明けでした。


編集部より:この記事は、畑恵氏のブログ 2018年1月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は畑恵オフィシャルブログをご覧ください。