品性というもの

森信三先生いわく、「人間のネウチというものは、その人が大切な事がらにたいして、どれほど決心し努力することができるかどうかによって、決まるといえる」とのことであります。

あるいは、「人間の真のネウチというものは、一、その人がどれほど自分の仕事に忠実であるかという事と、もうひとつは、二、心のキレイさにある」とか、『人間の真の値打ちは、その人がどこまで「人のお世話」が出来るかどうか、という一事に帰する』とも先生は述べられており、人間の値打につき他にも色々な言い方をされています。

当該テーマで私見を申し上げますと、これまで私は『人間の真の値打ち』(15年10月15日)や、『人間の価値とは?』(16年8月9日)等と題したブログを書きましたが、とどのつまり品性こそが最も大事な人間の値打であり、そこに尽きるのではないかと思っています。

例えば嘗て幾度か御紹介したように、ピーター・F・ドラッカーもその著書の中で「経営者が為さねばならぬことは学ぶことが出来る。しかし経営者が学び得ないが、どうしても身につけなければならない資質がある。それは天才的な才能ではなくて、実はその人の品性なのである」という表現をしています。

御先祖様から脈々と受け継いできている「血」、どのような環境の中で育ってきたかという「育ち」、そして「学問修養」が人間を形成する三要素です。「血」や「育ち」を変えるのは非常に難しいことですが、「学問修養」によっては変えることも可能となり、そしてまた、自分の品性を高めて行くことが出来るようになります。

森先生も「人間の修養上、最大の難物」と述べておられる通り、人間としての品性を高位に保つのは大変難しく、だからこそ平生の心掛けを大事にすると共に、必死になって学問修養をして行かねば、品性というものは決して磨かれ得ないのです。

先生の言葉を借りて言えば、「気品を身につけるには、依然として修養によって心を清める以外に、その途のないことが明らかなわけ」で、「人間の人格的価値を言い表す上において、この気品という言葉ほど適当なものは、外にはない」でしょう。様々な事柄の結晶がそこに凝縮され結果として、品性ということで全人格的に集約されるのだと思います。

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