23年前、阪神淡路大震災の被害状況を報じるテレビに釘付けになった

2018年01月17日 16:00

6,435人の犠牲者を出し、高速道路も倒壊する甚大な災害だった(Wikipedia:編集部)

阪神淡路大震災から23年目を迎えた。

いいことも悪いこともどんどん忘れて、ひたすら明日に向かって歩いている毎日だが、しかし、平成7年1月17日は忘れられない。

私がテレビ番組でコメンテーターのような役割を果たしていたことがある、と申し上げると驚かれるだろうが、23年前の1月17日からしばらくの間、私はいくつかのテレビ局の番組に出演していたことがある。

日弁連の「大規模自然災害に対する国民的保障制度検討委員会」の副委員長に就任していたので、阪神淡路大震災の被災者の方々に対する救済の仕組み等について解説することを期待されていたのだろうと思う。

しかし、地震によって倒壊したビル、横倒しになった高速道路、各所で大きな炎を上げて炎上中の建物などの映像を見て、ただただ息を呑むしかなかった。

まだ、当時は被災者の方々に対する公的な救済の仕組みは確立しておらず、まさに私たちが検討中の重大問題だったからだ。

まさに被害が拡大している現場を目前にして言えることは、ただ一つ。
被災者の救出を急げ。
被害の拡大を防げ。

私自身は、番組のコメンテーターとして意味のあることは殆ど何も言えなかっただろうと思っている。
何しろ、当時はまだ公的な保障制度は確立していなかったのだから。

私がどんな番組に出演していたか、今は思い出すことは出来ない。
櫻井よしこさんや植草さんとご一緒した記憶があるが、さてどんな番組だったか。
NHKで地震保険制度について話したことがあるが、さてどこの地方局だったか。

翌年の1月1日に全労済協会が「大規模自然災害についての国民的保障制度の創設についての提言」を主要紙に一面広告で掲出した。

その取りまとめに当たったのが、全労済協会に設置された「大規模自然災害に対する国民的保障制度検討委員会」で私がその委員会の座長を務めていた。

今日は、阪神淡路大震災発災から23年目の日。
私が、弁護士の世界から政治の世界に足を踏み入れる切っ掛けが阪神淡路大震災であったことは間違いない。

実に細やかではあったが、私たちの働き掛けが、その後の政治を動かす一つの要因になったのだろうと思っている。
未だ十分とは言えないだろうが、被災者の方々に対する生活支援制度や住宅再建に対する支援制度は少しづつ整備されてきているようである。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2018年1月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。

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