リベラル皇室の光と影「続・平成皇室論」(特別寄稿)

2018年03月31日 06:01

宮内庁サイトより:編集部

平成皇室のフィナーレは、眞子さま婚約延期問題の混乱で、生前退位問題についての議論も、雅子さまの御不調に伴う皇后陛下の役割いかんという課題も吹っ飛んでしまう混乱状況のなかで終わろうとしている。

眞子さまの婚約者にかかる問題については、婚約報道があった昨年の5月から、たびたび懸念やその解決方法についてアゴラでも論じてきたところだが、対応が後手にまわったために、一般の納采の儀の直前になっての延期発表ということになってしまったのは残念なことである。

しかし、課題を解決しないままこれ以上先に進んだら傷はより大きくなるのであるから、ここで二年間、延期と言うことで、制度問題も含めてこのご結婚の是非と前向きの解決策があるか検討できることになったのは、幸いだと思う。

そこて、このことに限らず、皇室を巡る問題については、週刊誌を賑わすようになってから議論するのでなく、制度問題も含めてしっかりとした議論をするべきことが多い。

そこで、月刊誌「新潮45」4月号に『「リベラル皇室」の光と影』と題する小論を書いた。そして、その内容の多くは、4月8日発売の『誤解だらけの皇位継承』(イースト新書)でも多くの部分を採り入れてあるが、ここでは、上記の「新潮45」の記事を解説するというかたちで議論を展開していきたいと思う。(内容の詳細は、ぜひ雑誌掲載の小論を読んでいただければ幸いだ)

いま皇室を論じなければならない理由

眞子様騒動のとき、週刊誌が疑問を報道したり、私などが疑問を解明すべきだというと、多くの人から「婚約の前に宮内庁が身元調査をしたはずだから大丈夫のはずだ」「だから、心配することは必要ないし、すべきでもない」といわれた。

「皇族方から宮内庁の職員や政府に相談があって調べてくれといい、職員も眞子様がつきあっている男性がいるようだが、調べてみましょうと申し出る」という当たり前の関係が成立してないことを知らない一般国民にとっては不思議な事件であったが、その後、状況が明らかになって、現在の皇室が当然そうあるべきように機能していないことが明らかになったのは幸いだった。ともかく、このままではダメなのである。

しかし、幸いなことは、平成という時代が、陛下の退位という形で終わることから、安心して、こういう議論が出来ることである。

なにしろ、昭和は、ポスト昭和を議論することは、陛下が亡くなられたらという議論を意味したし、最後の方は、陛下の平癒を国民が願う中で終わったので、客観的な総括も制度的な問題も議論しにくかった。

私も、新天皇の即位礼を京都でするべきであり、その準備は陛下の生前から始めないと間に合わないというプロジェクトに関わっていたが、表だった議論は不可能で、1986年のサミットを京都で行い、その過程で即位礼挙行の条件整備を図るということを試みるしかできなかった。

しかし、こんどは、陛下が自ら退位されるというのであるから、しっかりした議論ができるし、そうすべきなのである。

ここで、皇室という場合、皇族(厳密には天皇は皇族といわないが本稿では含める)、宮内庁、政府の協力によって運営される組織全体を指し、宮内庁という場合は事務方をさすものとしている。

皇室の抱える問題については、両陛下を含む皇族にも宮内庁にも歴代の総理を含む政府にも責任があるが、誰が悪いという議論は建設的でない。誰がどうしたから問題が生じたかなどということは最終的にはカーテンの向こうにあるし、それ以上に、大事なことは新陛下のもとでの皇室がシステムとして改革されることだ。

今上陛下の示す象徴天皇像とその普遍性の有無

昭和天皇が崩御されたとき、多くの国民が新しい陛下が昭和天皇と同じように国民統合の象徴たりうるかを密かに心配していたが、陛下が実践された天皇像は、満を持しての即位にふさわしい説得力あるものだった。しかし、それは、あるべき象徴天皇像として普遍化されるべきものでないというのも大事なことだ。メリットもあればデメリットもあるのは当然であるし、時代の違いも個性もある。

今上陛下の示される天皇像の基調は、祈りの重視とストイックで素早い行動重視の公務への姿勢である。

災害が起きたようなとき、昭和天皇は迷惑でないかという配慮で災害の直後に行かれることはなかったが、平成の陛下はできる限り早く駆けつけ、被災者に直接にお声がけをされることを好まれる。

両陛下はたいへん多くの公務をこなされる。宮内庁は減らしたいのだが、これまで行ってきた公務を省くことを陛下にご了解いただくことは難しいと聞く。

災害に限らず、警備や応対も出来るだけ簡素にと仰るのだが、実際にはそういうわけにもいかず、目立たずに万全を期すことはかえって負担が多いということもある。

今上陛下は「祈り」を重視され、伝統的儀式に熱心に取り組まれている。明治天皇や大正天皇は、神事はあまりお好きでなかったし、昭和天皇も、宮中祭祀に熱心でないとして、母親の貞明皇后は、「神罰あるべし」とまでいわれたこともある。

それに対し、今上陛下は、神事を大事にされ。また、明治以来、皇室との関係が薄れていた寺院についても、熱心に訪問されている。

陛下の理想とされる君主像のヒントとなるのは、「雍正帝」(宮崎市定著)を印象が深かった本として上げられたことだ。清国で康煕帝と乾隆帝の間に位置する名君だが、中国史上もっともストイックな働き者といわれる皇帝だ。ただし、雍正帝は非常な現実主義者だから、理想主義的な陛下とは方向性が少し違うような気もする。

陛下は「国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考える」だけでなく、人々のところに降りていって声に耳を傾けるということを重視される。

それはそれでよいのだが、かといって、カリスマ性高く国民が仰ぎ見る対象だった昭和天皇の姿も間違っていなかったと思うし、皇太子殿下には別のお考えがあるだろうし、妃殿下のご体調からいっても、同じスタイルは無理でもあるから、普遍化すれば、昭和天皇を否定することになるし、新陛下も困った立場に置かれることになろう。

また、ストイックすぎるスタイルは、高齢になられて、その美学を貫徹するためには、制度改正による退位を希望されざるをえないという無理もあった。

象徴天皇はどこまで政治に影響を与えてもいいのか

平成の皇室は意外に政治的であった。象徴天皇制の原則から言えば、かなりきわどい性格のものだった。

平成の皇室は意外に政治的であった。リベラルな姿勢は、昭和天皇というカリスマを失って不安定化していた皇室に左翼からの攻撃の余地を与えないために有用だったと思う。1989年に昭和天皇の崩御を受け即位された翌日、陛下は「さきに,日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しました」と宣言されたが、大正天皇や昭和天皇の即位の勅語には大日本帝国憲法は登場しなかったのでその政治性に驚いた。

ただし、これは、憲法の精神には反しない。日本国憲法は天皇の政治機能を全面的に否定しているが、ふたつだけ隙間があると思う。それは、複数の憲法があった場合にどの憲法に天皇は従うかということと、複数の首相を名乗る者が出た場合にだれが首相かの判断だ。このふたつは、ほかに判断する者がいないから、天皇は自分で判断するしかない。そして、自分は日本国憲法無効説には荷担しないという判断を示されたとしてもおかしくない。

つまり、新憲法が昭和天皇の関与のもとで、旧憲法を改正するかたちで合法的に誕生したことを再確認したということであった。もちろん、それは、憲法制定に不適切な押しつけがあった可能性を排除しないものの、無効論は否定されたのである。

東京都教育委員会委員として「日の丸・君が代」の義務化に尽力した米長邦雄氏が2004年の園遊会で、「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが、私の仕事でございます」と言上したところ、「強制になるということでないことが望ましいですね」と返された事件があった。これは、米長氏が陛下を政治利用しようとしたものだからそれが不適切であり、それを回避するためのとっさの反応として理解できるが、もし、そういう状況でなければ、微妙であろう。

沖縄について、2003年の天皇誕生日に際する記者会見にて「私にとっては沖縄の歴史を紐解くということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした」と仰ったが、歴史的に皇室の威光が及ばず、また、地上戦で多くの県民が犠牲になり、復帰が遅れた中で昭和天皇がそれを肯定するような発言をされたともいわれ、県民にとって引っかかりになっていることを考えれば、このような沖縄への思いを語られたことは、皇室への県民の皇室への信頼を確保するために有益なものだった。ただ、薩摩の人にとって遺憾だったともいえる。

陛下は太平洋戦争の激戦地を盛んに訪れられ慰霊の旅を続けられた。2000年に、かつて昭和天皇が卵を投げつけられたオランダをご訪問なされた時、戦没者記念碑にご供花なさり、1分間にわたる黙祷を捧げられたお姿が感動的でオランダでは好評だった。これは、政治的ともいえないので、結構なことであった。

しかし、天安門事件の余韻がさめやらぬ1992年に訪中されたことや、副主席時代の習近平が来日したときに、慣例に反して予定を変更して会談したのは賛否両論があった。

さらに、FIFAワールドカップの前年に当たる2001年、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と仰った「ゆかり発言」は、韓国民の皇室への悪感情を緩和することに役立ったのだが、一方で、日本の皇室が百済王家の分家であるがごとき馬鹿げた歴史認識に悪用された。

2005年にサイパン島で当初の訪問予定になかった韓国・朝鮮人慰霊碑に立ち寄られたが、これが、御自身の意向と報道されたたことは外交的判断を陛下がされたことになり、好ましいことではなかった。

こうした外交に関する発言などについて、政府と宮内庁と陛下とのあいだでどのようにすりあわせがされるべきかは、憲法論としても政治論としてもしっかり議論されるべき問題だ。

最近では、一部の野党やその支持者が、憲法改正の関係で、両陛下を第9条の守護者のように扱う傾向がある。週刊誌「女性自身」2016年11月8日号が『美智子さま「生前退位」への痛み!-心なき安倍政権へ「戦争の記憶」公開』という驚愕の見出しを出した。安保法制について、陛下が不快感をもたれているのではといった憶測を報道した愚かなマスコミもある。

いうまでもなく、憲法を改正するかどうかに、陛下が影響を与えることは絶対にあってはならない。また、個々の法律や政策を憲法違反かどうか判断をするのは最高裁判所だけであって、陛下が判断されることは憲法が否定しているわけで、政府の判断に従うしかない。

そのなかで、悪質な政治利用をしようとする動きが世の中にある場合には、放置されるべきでなく、宮内庁などが陛下を政治利用することは許されないむね明確にメッセージを出すべきだろう。

また、陛下が訪韓を希望されているというような報道もあるが、どこの国を訪問するかは、政府の決めることであるし、そこでの発言も政府の意向に沿ったものでなくてはならないことはいうまでもなく、そういう報道が出ること事態が困ったことだ。

韓国については、仮に将来、天皇訪韓があるとしても、天皇が政府と同じトーンで遺憾を表明されたら向こうが満足しないだろうし、かといって、より踏み込んだ表現をされるのは象徴天皇の建前をはずれてしまう。

やはり、日韓関係が成熟した結果として天皇訪韓はあるべきで、和解のための武器として使うべきものではないと思う。英女王がアイルランドを訪問したのは、自治が認められてから89年目の2011年のことだったのであって、なにもあせることはないのだ。

なお、昭和天皇については、ご本人が旧憲法下において政治的な存在だったので、その立場においてて、過去について、個人的な感想をなにもいわないわけにいかないという面があったが、今上陛下以降の天皇にあっては。そのような必要はない。

いずれにせよ、イギリスなどでも、女王陛下が政府と独立して政治的、外交的な発言や行動をすることは、排除されているし、そうとれる余地のある発言を女王がしたら非難囂々になっている。

御退位についても、陛下がビデオ・メッセージのかたちで希望を表明されたことは、結果的には象徴天皇制にとって疑問だった。そのことについては、すでに当日からアゴラで危惧を指摘したところであるので、詳しく書かないが、私は当日の夜、テレビで解説をしたとき、「陛下の言葉は素晴らしく感動的だったが、国民がそれを受けてご希望通りにしてあげなくてはというムードになっては、陛下が渾身の力で守ろうとされている象徴天皇制の趣旨に反する」から、「陛下のお言葉を重く受け止めつつも、国会と政府は、陛下のお言葉を盾に取ることなく将来に向けての展望も踏まえ自己責任において決定を下すべきだ」と解説したとおりだが、陛下のご希望なのだからそのとおりすべきだという、象徴天皇制の下であるまじき議論が横行したのは残念だった。

平成皇室を見舞った危機はなぜ起きた

平成の皇室は、雅子妃の不調や眞子様結婚延期騒動のようなプリンセスたちの悩み、退位の是非をめぐる論議、そして皇統断絶の危機に見舞われた。

どうして、そのようなことが起きるかといえば、現在の制度や慣習からして、予定されていない本人の資質とか考え方、周辺状況の相手と結婚しようとされ、また、そうするなら事前になされるべき話し合いや調整がされないことだ。

さらに、いえば、従来の制度や慣習を前提にして問題が少ない皇族の結婚相手を探し、また、候補者と調整を行うシステムが存在もしていないことだ。雅子妃を現在の状況にしたことは、すべて予想の範囲内であって、意外なものではなかったはずだ。

眞子さま結婚延期事件もよく似た背景だ。婚約延期になった直接のきっかけとみられるのは、小室氏母親の借金トラブルだが、本当の問題は、資産と本人の収入見通しを考えれば、とうてい、未来の天皇陛下の姉としての体面を維持できる生活は成り立ちそうもないことだ。

それだけでなく、陛下の長女である黒田清子さまの結婚も遅かったし、三笠宮家の2人、高円宮家の3人の王女さまたちも、いまのところ、1人しか結婚されていない。このままでは、悠仁さまのお妃選びも難航することが容易に予想される。

早急に美智子皇后を見いだした小泉信三のような有能な顧問を複数任命して対処すべきなのだが、誰も真剣に取り組んでいるとは思えない。

皇位継承問題について

皇位継承問題は、今上陛下の即位の段階で、三笠宮寛仁家に続き、高円宮家も女宮の誕生が続いており(三女の絢子さまは1990年生まれ)、その後も、秋篠宮家には内親王がお二人(次女の佳子さまは1994年生まれ)で皇太子殿下は結婚そのものがひどく遅れたのだから危機感をもって対応すべきだった。ところが、それを誰も真剣にしようとしなかったのがそもそもの問題である。

女系天皇の可能性については、私は絶対に反対ではないが、それが正統性をもつためには、男系維持のためにいろいろ工夫したがダメだったのでなければ説得力がないと思う。その意味でも、まず、最低限、悠仁さままでは、現行の順位で継承することは明確化すべきだろう。

さらに、結婚した女性皇族の夫も皇族として認めようという女性宮家というアイディアもあるが、眞子さまの婚約者がそういう構想には向きそうもない人物だったことは、その問題点を浮き彫りにしたので、女系継承の可能性とは切り離して、これも当面は排除した方がよいのではないか。

さらに、皇位継承問題で疑問なのは、今上陛下の子孫に限る議論がされがちなことだが、これは、非常に宜しくないと思う。(1)男系を維持している旧宮家などを排除し、(2)明治天皇以降の天皇の女性子孫も考慮に入れず、(3)女性宮家も三笠宮家や高円宮家の女王による継承は認めず、(4)内親王だけというのはひどく恣意的だし、四人の孫の子孫が一世紀もしたら絶滅している可能性も大である。

古今東西、特定の帝王の子孫に将来の継承を限ろうという試みは数々の国家的危機をもたらしてきた。自分の子孫に限ろうなどと言うことを陛下自身がお考えになっているとは考えにくいが、そういう方向にしたがる者がいるのは佞臣の仕業だ。

たとえ、悠仁さまに加えて、愛子、眞子、佳子さまという三人の内親王の子孫を皇位継承の有資格者として拡大しても、21世紀の終わり頃以降になって、平成の陛下の子孫が絶える可能性はそれほど低いものではない。

そのときになって、一世紀以上も前に廃止した旧宮家はどうだ、明治天皇の女系子孫ならいるはずだがと言い出しても、国民にとっても本人たちにとっても違和感がありすぎである。

それを避けるためには、今上陛下の子孫以外も予備軍として意識し、そう扱っておくべきである。

現在のような“個人商店”でなく「朝廷」という組織の再建が必要

平成の次の時代の皇室にとって必要なのは、「朝廷」の再建である。皇室が万世一系という安定性を持ち得たのは、帝王が独裁者として君臨する海外と違って、天皇個人のカリスマ性や見識に頼らず、多くの皇族や廷臣たちの意見が反映され支え合う体制だったからだということに異議がある人はないと思う。

幕末の孝明天皇のように、ご自身の考え方に固執されると、政治が大混乱したりしてきた(佐幕開国か尊王攘夷かで争っている時に孝明天皇が佐幕攘夷という誰も賛同者がない意見に固執されたのがさまざまな混乱が生じ長引いたということ)。

近代の皇室においても、皇族方にもかなりうるさ型がいたし、元老もおれば、宮内省は内大臣を筆頭にレベルの高い陣容で、熟練した侍従もいた。この人々は天皇や皇族に対してすら強く諫言もできる立場だった。また、首相など閣僚も天皇や皇族と直接に意見を言える機会があった。

そうした体制が、外国の王室には現在でもそれなりに存在するが、現在の皇室にはない。宮内庁長官を通じて政府などに陛下の希望などが伝えられ、逆に政府からの要請も伝えられるようで、歴代の首相と陛下が立ち入った意見交換や議論をされることもあまりないと聞く。ヨーロッパの君主は首相と頻繁に議論されているのだからまったく異常な常態なので、これを改めるべきである。

また、皇族のなかで政府と意見交換をされるのが、陛下に限られているらしいというのも不適切だ。皇室のありかたは、憲法上、政府や国会が決める問題だが、皇室は日本国憲法によって創設されたものでなく、もともとあった伝統的なものであるから、陛下も含めた皇室の方々や伝統的にその周辺にいた人々の意見も関係者として尊重したほうがよいに決まっている。

しかし、それは陛下の意見だけが貴重なのではない。ほかの皇族や旧宮家等関係者の意見だって大事だ。また、帝王教育という観点からも政府関係者と皇太子殿下など他の皇族との交流も必要なことだが現状ではそれが不十分に見える。

あまり知られていないが、今上陛下は、宮内庁長官などの意見をそのまま承認されるのでもないし、逆に自分から意見や提案を仰ったりすることも多いと聞く。では、陛下は誰の意見を参考とするべく聞かれているかといえば、皇后陛下は特別の存在だが、ご学友などの友人や、お気に入りの学識経験者やジャーナリストなどの意見だという。

そして、ご学友などが陛下のお考えとかをマスコミにリークしたり政府高官のところに乗り込んで意見したりするのは困ったことだ。陛下が意見を政府に伝えられたいというなら、首相に直接、あるいは、宮内庁長官や内閣官房を通じた正規ルートで行われるべきものであろう。

歴史などにつき、陛下に意見しているといわれるメンバーを見ると、偏ってないか気がかりでもある。一般に皇族は「左右の極論」を排して外交官などと日本の外交史についての認識を共有するべきだと思う。

憲法の建前からすれば、陛下はすべてに渡って誰よりもそのときどきの首相の考え方をすりあわせることが必要なはずだ。英国では女王はなんでも首相にいえるが、その意見は公になってはならないし、決めるのは首相だとされている。それが、立憲君主制において不可欠な原則だと考えられているのであって、そのような原則が日本でもしっかり確認されるべきだと思う。

もちろん、かといって、政府が過度に政治利用しても困るので、政府にも陛下や皇族に対しても諫言できる枢密顧問官的な仕組みもあったほうがよいと思う。そういうのは、昔なら実直な官僚出身政治家などの役目だったが、最近、そういう適任者がいるか少し不安ではあるが。

いずれにしても、現在の皇室は、個人商店的だ。それを、かつての朝廷や宮中がそうであったように、それなりの企業的な組織にして、安定したガバナンスをしっかりしなくてはこれから永らく皇室制度を維持していけるか著しく不安である。

誤解だらけの皇位継承の真実 (イースト新書)
八幡和郎
イースト・プレス
2018-04-08

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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