「防災省を創れ」という石破茂のお粗末な発想

八幡 和郎

石破氏とテレビ共演した際の筆者(フジテレビ「バイキング」より:編集部)

石破茂氏が防災省を作るとか愚かなことをいっている。政策がなにもない政治家に限って、組織をつくるのをもって政策という。最低の発想だ。

そういう話が出ると、いつも、思い出すとっておきのエピソードがある。
阪神神戸大震災のしばらくあと、当時、国土庁にいた私が、関西を拠点に仕事をしていた非常に有名な方と飲んでいたら、面白いことをいっていた。

「こんどの震災で役所も酷くはないがもうひとつの動きやったんはご存じの通り。政治ももちろんそう。企業もあかなんだ。ところが、素晴らしい組織がひとつだけあった。神戸の灘区に本部があるとこですわ。(世のため人のためかは別として)あれは完璧やった。そやけど、当たり前ですがな。あれは、365日24時間危機管理やってます。そやから、すぐに冷静にベストを尽くしとった。急にあわてて危機対応してもたいしたことできひんわ」

まことに、仰る通りだった。ずっと危機対応などせずに机上の空論ばかりでいじくっている組織が肝心のとき動くはずがない。

だから、阪神淡路大震災のあと防災省だ、FEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁、Federal Emergency Management Agency)の日本版だという議論がでたとき、私は反対した。どうせそんなものは、日常業務がない役所になる。窓際族を各省庁から集めるだけになる。無駄だ。もしやるのなら、日常業務をかなり広く業務にして、日々、組織を動かしたり訓練したりするものにするべきだが、まず無理だというのを理由にした。
その意見は、いまも変わらない。

それに、「省」というからには、ほかの「省」に脾摘する組織でなければならならず、行革の精神から言っても、スクラップアンドビルドにすべきだが、数個以上の局をどこの省から引っ張ってくるのか。また、そうした場合には、それぞれの省庁の関連部門との連携は悪くなるが、それに見合うメリットはあるのか?あるいは、省といってもそんな大きな規模の組織でないなら、内閣府に盲腸的組織をつくるだけのことになる。

ちなみに当時、私が出した案は、野中広務国家公安委員長・自治大臣を復興本部長に据えて、各省庁と関係自治体を統括させるというのだった。しかし、その種の案は兵庫県知事の反対にあって実現は無理だった。兵庫県知事は「地方自治の本旨にそってやるべきだ」。つまり、自分が大将でなければいやだというわけであった。しかし、それでは、国家的な例外的取り組みはできない。そんなことをいっているから、復興事業はまったくシャビーなものになって神戸はあの大震災を機に衰退した。後藤新平が関東大震災を未曾有のチャンスと位置づけたのと大違いだった。

 

※(19日5:00)地名等、一部訂正しました。