パチンコで換金の慣習が生まれたのはなぜか?

ども宇佐美です。
前回に続き音喜多先生との9/20のイベントに向けてパチンコの話をしたいと思います。
今日は「パチンコで換金の慣習が生まれたのはなぜか」ということについてです。

いらすとや:編集部

元々はパチンコには換金の慣習はなく、ブームが始まった1948年〜1949年ごろはそのゲーム性を楽しみつつ景品の獲得を目的とするささやかな遊びでした。主たる景品はタバコで、パチンコ屋は専売公社(現JT)の最大の顧客でした。

玉も左手で一発ずつ込めて右手で打つ単発式で、せいぜい1分で50発(当時は1玉2円)程度しか打てなかったようで、サラリーマンや肉体労働者が仕事や飲み会の帰りによって遊びつつタバコを狙う、などといった遊ばれ方をしていました。しかしながらユーザーの求めもあり徐々にパチンコの射幸性は上がっていきます。

まず1952年になると、菊山徳治氏が連発式のパチンコ台を開発し、複数玉をストックできるようになり左手の玉を込める作業が不要になります。これにより単発式では1分間では50玉程度が限界だったの発射性能が、1分間で130玉程度まで向上します。単位時間あたりの投入金額が2倍以上になったわけです。そして1954年になると名古屋のツバメというメーカーが電動式連発機の開発に成功します。

これで1分間に200玉以上の発射が可能となり、当初の4倍までかけ金額が跳ね上がることになりました。こうなると当然にして、パチンコで勝ったユーザーが、処分しきれないほどの景品を獲得するようになります。なお1954年当時のパチンコの売上は2500億円程度だったと「パチンコ産業史」では推測していますが、このうち景品玉に回る比率が7割として、さらにそのうちタバコに回る比率が6割とすると1000億円程度のタバコが景品として取引されていたことになります。当時の専売公社のタバコの売上は2000億円程度だったので、その半分はパチンコの景品として取り扱われていたことになります。すごいですね。

少し話が逸れましたが、こうした景品としてのタバコが余るようになると、そこにヤクザが目をつけるようになります。ユーザーがパチンコホールから大量のタバコを持って出てくると、そのタバコをヤクザが仕入れ価格から若干割り引いた価格で買取り、その割引価格に若干マージンを上乗せしてヤクザがホールに売りつけるようになりました。

わかりにくいので数字を実際に当てはめると、

①定価100円のタバコが景品として大量に出て、
②それをヤクザがユーザーから卸価格80円よりも下回る割引価格70円で買い付け、
③そのタバコをホールに75円で買い戻させる、

という流れです。

これによって、ユーザーもヤクザもホールも一定の利益を享受できるということで、この方式の換金は一斉に全国に広がりました。

このようにパチンコの換金システムというのは、パチンコ遊技機の発射性能向上によってユーザーの景品換金ニーズが生まれ、それに目をつけたヤクザが換金の仕組みを作る、という経緯で誕生しました。(現在の換金システムはこの当時の換金システムと大きく異なるものですが、それはまた別の機会に記します。)

なお遊技機の発射性能を向上させたのは主として名古屋の日本人技術者で在日韓国・朝鮮人というわけではありません。なんでも在日のせいにするのはやめましょうね❤️

ではでは今回はこの辺で。

PS:9/20の音喜多先生とのイベントでは「パチンコ利権とギャンブル依存症」をテーマにするのでご興味ある方はぜひお越しください ↓

クリックするとイベントページに飛びます


編集部より:このブログは「宇佐美典也のblog」2018年9月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のblogをご覧ください。