国名を変える理由:マケドニア議会、改憲審議開始へ

マケドニア議会は19日、国名変更に関する憲法改正手続きを開始することを決めた。スコピエ(首都)からの情報によると、国名を「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」から「北マケドニア共和国」に変更する憲法改正手続きの開始が議会定数120議席の3分の2に当たる80票を獲得して採択された。

マケドニアの首都スコピエの風景(マケドニア政府観光サイトから)

この結果、ギリシアとの間で久しく続いてきた国名問題をめぐる改憲審議がスタートし、最終的には再度、議会の3分の2の賛成を経て承認される運びとなる。国名変更の改憲手続きが始まったことでマケドニアは欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の加盟に一歩前進した。

マケドニアは1991年、旧ユーゴスラビア連邦から独立、アレキサンダー大王の古代マケドニアに倣って国名を「マケドニア共和国」とした。ギリシャ国内に同名の地域があることから、ギリシャ側から「マケドニアは領土併合の野心を持っている」という懸念が飛び出し、両国間で「国名呼称」問題が表面化した。

ギリシャ側はマケドニアが国名を変更しない限り、EUとNATOの加盟交渉で拒否権を発動すると警告を発してきた。そのため、マケドニアはギリシャ側と国名変更で協議を重ね、今年6月17日、ギリシャ北部のプレスパ湖で両国政府が国名を「北マケドニア共和国」にすることで合意したばかりだ(通称プレスパ協定)。

国名問題が動き出したのは、マケドニアで約10年間政権を握ってきた中道右派政党「内部マケドニア革命組織・国家統一民主党」(VMRO-DPMNE) のニコラ・グルエフスキ、エミル・ディミトリエフ政権に代わり、昨年5月末、ザエフ左派政権(「マケドニア社会民主同盟」)が発足してからだ。

マケドニアのザエフ政権は先月30日、国名変更の賛否を問う国民投票を実施したが、国民投票が有効となる投票率50%に達せず約37%だったため無効となった。

ザエフ首相は国民投票の結果を受け、「議会で国名変更の採決を実施したい」として、憲法改正で国名変更問題の早期採決を目指す意向を明らかにしていた。

憲法改正手続き開始には議会定数(120)の3分の2の支持が必要だが、与党「社会民主同盟」(SDSM)主導のザエフ連立政権は連立政党のアルバニア系2党を合わせても80議席までには程遠い状況だった。ザエフ首相は、「野党勢力が妨害するならば、早期議会解散も辞さない」と警告を発してきた。これまで国名変更問題ではボイコットを続けてきた野党VMRO-DPMNEの議員から少なくとも8議員が賛成票に回った結果、3分の2のハードルをクリアしたわけだ。

ギリシャ議会はマケドニア側との合意内容の批准が待っている。ギリシャでも「新国名にマケドニアという呼称があれば絶対に受け入れられない」という声が聞かれるなど、マケドニアの国名変更問題ではまだ紆余曲折が予想される。

オーストリア通信(APA)によると、オーストリアのオトマール・カラス欧州議会議員は、「(改憲審議開始決定は)歴史的だ。西バルカンの若い世代は過去の呪縛から解放され、未来を見つめてきた」と歓迎している。

バルカンでは過去、コソボ戦争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争など民族闘争が絶えなかったが、そのバルカンで過去と和解し、未来を見つめる若い世代が芽生えてくれば、朗報だ。その意味からも、ギリシャとマケドニア両国の国名変更問題の平和的解決が願われる。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年10月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。