百田「日本国紀」:良質だが国際的な説得力がない

戦後については、いわゆる保守派らしい主張が、快調に展開されている。憲法改正を強いたアメリカはけしからん、東京裁判は容認できない、公職追放も許せないし、レッドパージは形ばかりでバランスが取れない。農地改革も悪いことばかりでないが、弊害も大きかった。社会主義がダメなことは自明の理になったのに、まだ、擁護している人がいる。

靖国、教科書、南京、慰安婦などいわれなき批判をされて悔しい…といった具合だ。

しかし、中韓などはどうせ何言っても文句言うから放っておけば良いが、欧米などには彼らに味方になってもらえるような言い方が必要だという立場としては、もう少し大人しくならざるをえないし、安倍首相の米国議会での演説とか、終戦70周年の声明とかが妥当なラインだということになる。

私は憲法改正にしても東京裁判にしても、押しつけられたというよりは、アメリカとの取引の結果だから仕方ないという意見で次のように書いている(要約)。

憲法については、押しつけであるか議論するのは、あまり意味のないことです。東久邇宮内閣で近衛文麿が改定作業に入っているのですから、占領下の改正は当然のことと受け止められていたのです。

東京裁判もそうですが、国体を守り、昭和天皇の訴追を回避するためにはやむをえないと了解していたのです。昭和天皇も内容を了解され、祝賀行事にも進んで出席されているのです。むしろ、昭和天皇は旧憲法との連続性を強調されているくらいです。

ただし、アメリカ側が原案をつくったことを隠したのは大きな傷ですし、両院の三分の二ずつと国民投票という高いハードルを定めたことは、将来の世代への不当な拘束であって、護憲派が衆参両院いずれかの三分の一を確保することだけで、憲法の曇りなき正統性を主張するのは無理があります。

Amazon著者ページより:編集部

戦後におけるマスコミや教育界、野党の左翼偏向や中国や北朝鮮、韓国への不可思議な肩入れについての批判はだいたい正しい。これは、おおむね正しい指摘だし、占領行政においてGHQ内部の左派が暴走した結果だというのも確かだ。

ただ、もし、放置しておくと必要以上に戦前回帰したかもしれないというのも杞憂ではなかったと思う。また、ドイツと比べて日本がより根本的に改革されたのかどうかといえば、それは、分野ごとにいろいろだとも思う。

日中国交正常化については、アメリカの圧力でさせられたと書いているが、普通には頭越し外交に慌てた日本がアメリカの制止をきかずに台湾との断交を含む措置をとったとされているわけで、ちょっと特殊な見解だ。「共産主義は人を幸せにしない思想だ」と高らかに宣言しているが、改革開放が始まってから40年間、ほとんど一貫して、中国の方が日本より順調に経済が拡大し、国民はおおむね状況の改善に満足している。

日本人が考えねばならないのは、中国に民主化を促すなら、中国を非難するより、日本が羨ましい手本だと中国人に理解してもらえるようになることだと考えているので、だいぶ意見が違う。

沖縄の本土復帰が遅れたことについては、中国との微妙な関係も含めて非常にあっさりしている。また、北方領土問題はまったく記述がない。

高度経済成長については、それをなしとげたのは、政府の政策でなく、ひとえに国民の勤勉さであるとしているが、それは乱暴だろう。オイルショックやバブル崩壊以来、世界最低の停滞になっているのは、国民が怠惰になったからでなく、政府の政策が悪いからだというのでなければ論理的でない(もちろん、その政府を選んだのは国民だが)。

南京、慰安婦などについて、中国や韓国が著しく誇張した非難をしているのは確かだが、ほとんど問題がなかったといわんばかりなのは、少なくとも国際社会で通る認識ではない。その一方、天安門事件で何万人も死んだというあまり現実性のない数字が強調されているのは不均衡と思う。明治の軍隊の国際的にも絶賛された行儀の良さと違う、昭和の軍隊の行儀の悪さは否定しない方が良いと思う。中国政府には、当時、「南京30万人とか誇張するから今回も数字がふくれあがるのであって、自業自得だ」といったものだし、いまも同じ考え方だ。

全般的に、戦後教育の自虐史観を植え付けられた人が、この本を読むと、びっくりして目が覚めると思うし、説得力もある。中和してちょうど良いと思う。しかし、最初にも書いたように、この本の通り、世界に向かって訴えるのは説得力がないと思うというのが総括だ。

日本国紀
百田 尚樹
幻冬舎
2018-11-12