「ムーンショット」に思う科学技術予算の偏在と脆弱な基礎研究

畑 恵

来年度予算原案が内示

先日、2019年度予算原案が財務省から各省庁に内示されました。

科学技術関係予算で主だったところを見ると、2004年から1400億円以上(約12%)削減されて来た国立大学運営費交付金は、前年度と同額の1兆971億円。科学研究助成事業(科研費)は、前年度比86億円増の2,372億円で、これに加え本年度補正予算で50億円が付けられています。

写真AC:編集部

科研費は、研究者が自分の学術的興味に従って応募できる極めて重要なボトムアップ型競争的資金ですが、その採択率の低さが問題視されており、運営費交付金の減額により日々の研究活動に支障をきたし、博士課程への進学者も激減している研究現場からは、大幅な増額の期待が強く寄せられています。

一方、ハイリスク・ハイインパクトな研究開発予算「ムーンショット」には補正予算で、巷間伝えられていた通り約1000億円(文科省800億円+経産省200億円など)がつきました。

注目すべきムーンショット研究の行方

ムーンショットについては以前、文科省から説明を受けたのですが、破壊的イノベーションを起こせるハイリスク・ハイインパクトな研究開発に1000億円ということと、これまで実施された大型研究予算の後継であること以外に具体的内容はほとんど伝えられず、すべてはこれから官邸(内閣府)の意向を受けて決定されて行くということでした。

国の財政が逼迫する中、大学への運営費交付金が削減され、多くの研究者が日々の研究継続にも困窮するほど基礎研究の現場が逼迫する、その一方で破格の国税が投じられることとなるムーンショット型研究開発。

企業との共同研究により外部資金を得やすい学術分野を擁する大学を除き、いま大学の閉塞感、特に地方大学の疲弊ぶりは極まっています。

十分な試薬が買えないため、値段を書いたラベルを瓶に貼って節約を呼び掛けたり、実験用の器具が買えず百円ショップのグッズや空き瓶で代替したりというのは、研究予算が削られる現場では日常の風景だと言います。

1000億円のムーンショット予算を今後、どのような評価指標や評価方法で配分するのか、申請書の審査にあたる評価者は誰がどのような基準で選定するのか。

そのプロセスの公平性や透明性がいかに担保されるか、注目すべきところです。

日本が科学技術立国としてグローバル競争を生き残って行く上で、未来を切り拓くイノベーション創出に寄与するような、先進的研究開発はもちろん重要です。

日本は先進諸国に比し、社会に破壊的イノベーションを起こすような先進分野での研究開発が脆弱であることは、データ的にも示されています。

中国を筆頭に各国が巨額の科学技術予算を投入し鎬を削っている今、日本が本気で破壊的イノベーションを起こすような研究開発を推進するのであれば、1000億円程度で本当に結果が出せるのか不安になるほどです。

よほど綿密に戦略を練って効果的な予算投入を図り、その進捗具合を適切にチェックして行かない限り、1000億円に見合うだけの対価は納税者に還元されないのではと推測されます。

予算配分や予算執行、更には研究プロセスを所管する政官の担当者には、その重い責任をしっかりと自覚し、必ずや予算以上の成果を納税者に還元するという覚悟を持って臨んでもらわねばなりません。

“目利き”が必須の最先端研究開発

ムーンショットのような最先端研究開発には、大型予算以上にその研究の価値や将来性を的確に評価できる“目利き”が欠かせません。

2009年、当時の麻生太郎首相が「トップ研究者30人に3000億円の研究費」をと構想された最先端研究開発支援プログラム「FIRST」。

来年、自民党政務調査会「科学技術基本問題小委員会」でのヒアリングを予定している米国NIH主任研究員の小林久隆氏と東京工業大学教授の細野秀雄氏は、ともにこのFIRSTに採択された研究者でした。

人体に害のない近赤外線でがん細胞だけを死滅させることにより、心身へ大きな負担を与えることなく安価にがんを治せる「光免疫療法」を研究開発した小林氏は、当時、一人当たり100億円というFIRST予算に採択されたことで治験までの見通しも立ち、東京大学で研究を行うことが内定していました。

ところが、この年に政権交代が起こり民主党政権はFIRST予算を大幅に削減。

それにより治験の道を閉ざされ、日本では研究を完遂できなくなってしまった小林氏は、やむなく米国に渡りNIHで研究を続けることとなり、オバマ大統領が一般教書演説で称賛した世界的研究成果のパテントは、米国のものとなってしまいました。

ただ、米国でも出資先が見つからなかった光免疫療法に巨額の資金を投じ応用・実用化への道を開いたのは、楽天の代表取締役社長の三木谷浩史氏でした。

パテントは米国でも、日本からの目利きと資金を得て、光免疫療法は再び日本発の治療法として世界に発信される見通しです。

政権交代によりFIRST予算が減額された影響は、東工大の細野氏にも降りかかります。

絶縁体であるはずのガラスに電気を通し、ガラスの半導体である「IGUZO」の開発に成功した細野氏もFIRSTに採択されますが、予算の大幅な減額により、多額の研究費を必要とする応用研究を継続することができなくなります。

日本のあらゆるメーカーに研究への参加を求めライセンス契約を打診しますがすべて断られ、結局、早くからこの研究に注目しアプローチをかけ続けていた韓国サムスン電子に、ライセンスが供与されることとなります。

ちなみに、IGUZOのパテントは研究開発事業を推進したJSTが今も保有していますが、サムスンへのライセンス供与が発表された当時は、なぜライバル国に供与するのかと物議を醸しました。

「光免疫療法」も「IGUZO」も、FIRST予算減額という以前に、こうした偉大な研究成果を応用・実用化しようという“目利き”や挑戦的意欲を持たなかった日本の企業に問題があることは明らかです。

それにしても、政権交代によるFIRST予算減額がなかりせば、こうした痛恨の海外流失(特に小林氏のような頭脳流出)は起きなかったかもしれないと思うと、痛恨の極みです。

もちろん、FIRSTのような超大型研究開発予算の功罪はいずれにしても大きく、高額の国税を投じる以上、事前・事後の厳格な評価はもちろんのこと、予算執行課程での適時適切な評価やチェックが必須であることは言うまでもありません。

基礎研究無くして、イノベーション無し

それにしても、世を挙げてイノベーション流行りの昨今、予算獲得に向けても「イノベーション」の文字が並びます。

ただ研究開発のプロセスは農業に似ていて、「イノベーション」という果実を得るためには、「基礎研究」という田おこしや代掻き、水遣りや草取りという地道な作業が欠かせません。

種はまず蒔いてみて、しばらく手間をかけて育ててみないことには、何が発芽するか、何が成長し伸びて行くかなど、誰にもわかりません。

このためには、圃場整備費とも言える最低限の基盤研究費が必要であり、まさしく萌芽研究を対象とした薄く広い科研費が手厚くなされなければ、イノベーションという果実は得られません。

さらに、芽が出た時期、枝葉が伸びてきた時期、小さな実をつけ始めた時期など各段階で必要なのが、適切な評価です。

将来性のある芽や実や枝を伸ばし大きく育て、そうでないものは撤去して行く剪定や摘果あるいは間伐という作業を行うには、それぞれの現場経験で養われた十分な技術や知識が必要です。

イノベーションという果実を得るには、こうした“目利き”人材や、基礎研究で生まれたシーズを応用・実用へと導くことができる“つなぎ”人材の育成や確保が欠かせません。

科学技術先進諸国では、このような研究支援ができるドクター人材をPM(プログラム・マネージャー)やPD(プログラム・ディレクター)、あるいはアドミニストレーターとして研究者同等の条件で処遇し、育成や確保に務めています。

大きい果実、つまり破壊的インパクトを社会に与えるようなイノベーションを求めるのであれば、そこそこ育ってきた段階から手をかけても手遅れで、土起こしや水遣りといった基礎からしっかり取り組むことこそが、結局は一番の近道なのだと思います。

短期・単一の評価基準による評価ではなく、中長期的で多様な評価基準による正当な評価が、真に効果的で効率的な科学技術予算の配分には必須であると、いま改めてそう思います。


編集部より:この記事は、畑恵氏のブログ 2018年12月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は畑恵オフィシャルブログをご覧ください。